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青草の原(マルコ6:30-44) 20241222

  • 執筆者の写真: 金森一雄
    金森一雄
  • 2024年12月22日
  • 読了時間: 8分

更新日:2024年12月27日

本稿は、日本基督教団杵築教会における2024年12月22日待降節第4主日礼拝の説教要旨です。 杵築教会伝道師 金森一雄 

 

(聖書)

エゼキエル書 34章1~16節(旧1352頁)

マルコによる福音書  6章30~44節(新71頁)

 

1.旧約聖書と新約聖書の連続性

 

私たちは、旧約聖書に語られている神の言葉が主イエス・キリストへと繋がっており、主イエスにおいて実現した、と考えています。

そして、新約聖書の最初のマタイによる福音書1章には、「イエスキリストの系図」が書かれています。その終わりの17節には、「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンに移されてからキリストまでが14代である。」と書かれています。

 

この14代ごとの三つの時代区分の第一、「アブラハムからダビデまで」は、神の民イスラエルの誕生から、エジプトでの奴隷状態からの救いを経て、約束の地でダビデのもとに王国が確立するまでです。

第二、「ダビデからバビロンへ移住まで」は、ダビデ王朝の下でのイスラエルが王国として歩んだ時代です。

第三、「バビロンに移されてからキリストまで」は、いわゆるバビロン捕囚から主イエスの誕生までの時代です。

 

マタイは、それぞれの時代が、14代ずつになっていると書くことによって、イスラエルの歴史が単なる偶然によるのではなくて、神のご計画、御心によって導かれていることを示しているのです。

人間は、様々な思惑や偶然の出来事が複雑に絡み合って、思いもよらない方向へと流れていくものです。私たちはその中を翻弄されながら生きています。しかし大局的に見た時には、歴史における人間の歩みとその中における混乱の全てを貫いておられる主なる神が、歴史を導いておられ、救いの御業を行っておられるとマタイは書き記しているのです。

 

本日は、交読詩編として、詩編23編ダビデの賛歌が与えられました。第二の時代区分からのメッセージということになります。

ダビデは、BC1000年ころ、エルサレムへの首都遷都を行ったユダヤ王朝第二代の王です。旧約聖書の『サムエル記』および『列王記』に登場しており、『詩篇』の多くの詩を残しています。羊飼いのエッサイの末の息子として育ち、主の目にかなって初代イスラエル王サウルに仕え早くから頭角を現していました。サウルが戦死したのちに第二代の王位に就いて、全イスラエルの王として40年間君臨しました。

そのダビデが、詩編23編1-3節で、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」と、青草に休ませてくださる主を賛美しているのです。ここから、今日の説教題を主の惠みを象徴するものとして「青草の原」とさせていただきました。

 

本日、私たちにもう一つ与えられた旧約聖書はエゼキエル書です。マタイによる福音書の「イエスキリストの系図」における、第三の時代区分からのメッセージとなります。

エゼキエルは、BC598年に即位したユダ王国代19代の王、ヨヤキンと共にバビロンへ移住させられ、捕囚の地バビロンで召命を受けた預言者です。


エゼキエル書34章(1352頁)2b-5節で、「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、過酷に群れを支配した。」と、主が言われています。


そして11節には、「まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。」と、書かれています。


そして14節では、「わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。」と預言してくださっています。長い引用になりましたが、エゼキエル書34節1節から16節までで、主なる神は、「養う」という言葉を11回も用いています。


良い牧場と肥沃な牧草地とは、ダビデの言った青草の原と同義です。ここでは、主なる神がわたしたちを憩わせ、良い牧場と肥沃な牧草地、『青草の原』で養ってくださると、預言されているのです。

このように、主が私たちの牧者として、私たちに食事と休息を与えて休ませてくださるという約束のキーワードが『青草の原』なのです。このことを覚えて、主に感謝しながら、本日の説教題を『青草の原』とさせていただきました。

 

2.弟子たちと群衆の関係

 

マルコによる福音書6章7節で、主イエスが、12人の弟子たちを二人ずつ組にして、ナザレの付近の村に派遣していました。そして30節で、派遣されていた12人の弟子たちが、伝道旅行を終えてイエスのところに集まって来て、自分たちの行ったことや教えたことを残らず報告したと書かれているのです。

弟子たちも疲れを覚えていたのでしょう。報告を受けた主イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と弟子たちの疲れを気遣う、ねぎらいの言葉をかけています。


弟子たちは休息を取ることになりました。32節に、「そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。」と書かれています。

ところがそのような思惑通りにはいきません。

 33節には、「多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。」と書かれています。

群衆の情熱には驚かされます。群衆は、すでに主イエスの一行の到着を待ち受けています。これまでは、主イエスがずっと群衆に追いかけられる状況が続いてきましたが、今や弟子たちまでが、群衆に追われる身になったのです。

 

3. 「深く憐れむ」主イエス

 

34節には、「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」とあります。

この「深く憐れみ」ἐσπλαγχνίσθηという過去形の言葉は、人間の内臓を差して「はらわたが痛くなった」という意味があります。

新約聖書の文脈では、主イエス・キリストの憐れみ深い行動や態度を描写するときに限って使用されている言葉です。神がはらわたが痛くなるほど深く私たちを憐れんでくださったが故に、神の独り子主イエスが、この世界に来てくださり、愛と人間の苦しみに対する深い共感を持ってくださって、私たちの救いのために十字架にかかられたのです。


私たちが生きているこの世の中では、何かを動かす動機として人を思いやる憐れみの心によることは、残念ながら少ないようです。しかし、神が動かれる理由は、深く憐れむ心なのです。一方、人は権力や富の力によって、ほとんどの人が動かされます。また人情から動く人もいます。世話をしてもらったからという理由で動く人もいます。周りからの自分の評価が気になって、動かざるを得ないという人も多いのではないでしょうか。

 

弟子たちは、マルコによる福音書6章35~36節で、「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」と、主イエスに言っています。弟子たちは、群衆を養うことではなく、夕暮れ時になったので、今日の話はそろそろ切り上げなくてはならない、と考えていたのです。

 

37節には、「これに対して、主イエスは、「あなたがたがかれらに食べ物を与えなさい。」とお答えになった。」と書かれています。

しかし、弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言っています。

一デナリオンが一日分の賃金でしたから、二百日分の賃金相当額が必要だと言うのです。

男だけで五千人、女や子供を含めると倍以上に膨らんでいたでしょう。

弟子たちは人間としての現実的な思考回路をめぐらしているのです。


38節で、主イエスは、群衆の中にどのくらい食料があるか確認させます。

39節には、「そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。」と書かれています。これに対して、人々は、主イエスの命令に従いました。100人、50人ずつまとまって腰を下ろしたのです。


すると主イエスは、41節で、「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え」て5000人の給食を行われたのです。

42節には、「すべての人が食べて満腹した。」、43節には、「パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。」とあります。

十二人の弟子たちが一人一籠ずつ持って集めたのでしょう。十二の籠がいっぱいになりました。たった五つのパンと二匹の魚にしか見えなかったものが、主イエスが天を仰いで賛美の祈りをされると、これほどまでに大きな奇跡の出来事が実現したのです。


籠を集める働きをした弟子たちは、その恵みの重みを籠の重さでも感じて震えていたことでしょう。今もなお、私たちの教会においてもこの5000人の給食の話は生き続けています。

われわれ自身を主イエスに委ねるなら、主イエスが、『青草の原』に座らせてくださり、想像することができないことを経験させてくださるのです。

先週の杵築教会のクリスマス愛餐会でも、主イエスが私たちを共に、『青草の原』に座らせてくださいました。

そして、私たち全員に対して、主が共におられる温かな満足感と満腹感が与えられました。

メリークリスマス!感謝を込めて主イエスのご降誕を共に祝いましょう。



 
 
 

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