本稿は、2024年11月10日降誕前第7主日の日本基督教団杵築教会における飯田仰師の創立135年記念礼拝の説教要旨です。
(聖書)詩編66編10-20節
ペトロの手紙一 1章3-12節
ペトロの手紙一の著者は冒頭でこう述べます。「離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ」(1:1)。キリストへの信仰の故に、主なる神によって選ばれた者なのに、寄留者として苦労が続く営みを強いられていた人たちへの言葉です。しかし、こうした試練は「しばらくの間」のものであり、ここで改めて確認をしています。神がどれほどの希望をお与えになられているのかということを。
ここでは三つの事柄について確認しています。
(1)我々に与えられている財産と救いがどれほど素晴らしいものなのか、
(2)我々に与えられている試練と喜びがいかなるものか、
(3)我々に与えられている神のご計画の確かさがいかなるものか、です。
先ず、我々に与えられているのは、「朽ちず、汚れず、しぼまない」天に蓄えられている財産です。神は、キリストによってそれらを受け継ぐ者として我々を受け入れてくださいました。それは神の力によって、信仰によって守られていると言います。
次に、この試練は我々に大いなる喜びを与えると言います。試練や悲しみはリアルです。しかし、キリストご自身がそうであったように、試練を通してのみ理解できることがあると言います。
そして最後に、神は天地創造の時からあらゆる方途を用いて我々にお語りくださり、主イエス・キリストによってその全てが成就したことを示します。主イエスの生涯の全てと十字架と復活の出来事を通して、神は我々にお語りくださいます。そして、聞く者、信仰をもって従う者に、生き生きとした希望を与えておられると言うのです。
教会にはこのような歩み方が約束されています。悲しみや苦しみをなかったことにするのではなく、その悲しみの奥底にまでご自身の愛と光を神は輝かせてくださるのです。そして、このお方にこそ、我々の生き生きとした希望があることを示しておられます。そのような世界が教会に繰り広げられています。これが大いなる幸いなのです。
【飯田仰師の略歴】
埼玉県生まれ。
高校から単独渡米、ケンタッキー州にて高校時代を過ごす。大学卒業後、
一時帰国。
2001年再び渡米、シカゴ郊外にあるTrinity Evangelical Divisinity School (M.Div.)及びGordon-Conwell Theological Seminary(Th.M. in Biblical Theology聖書神学専攻)修了。
2008年日本同盟基督教団補教師准允。
2011年日本同盟基督教団正教師按手。
2013年東京神学大学博士課程前期課程入学、
2016年修了(歴史神学専攻)。2016年博士後期課程入学。
2017年国際基督教大学高等学校非常勤講師(キリスト教概論担当)、現在に至る。
2018年日本同盟基督教団国外宣教総主事就任、現在に至る。
2019年青山学院大学非常勤講師(キリスト教概論担当)、現在に至る。
2023年東京神学大学助教(歴史神学担当)、現在に至る。
2023年聖契神学校(教理史、日本教会史担当)、現在に至る。
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