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摂理の中を生きる(使徒2:5~8)

  • 執筆者の写真: 金森一雄
    金森一雄
  • 2023年6月14日
  • 読了時間: 7分

更新日:2024年6月27日

本稿は、2023年6月14日の東京神学大学チャペル礼拝での説教です。

         東京神学大学大学院博士課程 2年 金森一雄

 

        



聖書朗読

使徒言行録2章5節~8節

5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、

6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。



1.聖霊降臨の出来事

ただ今、朗読させていただいた聖書箇所は、使徒言行録2章の「聖霊降臨」という小見出しのついた記事の一部です。


最初に、この出来事の背景について使徒言行録1章から確認しておきましょう。

主イエスは、受難の十字架を遂げられ、三日後に復活して40日間にわたって、ご自分が生きていることを示されました(使徒1:3)。

聖書の中で用いられている40という数字は、比較的長い期間を意味します。

そして完全数ですから、主イエスが復活されて生きていることを示す期間として、主は必要十分な時間だと考えられたのでしょう。

復活された主イエスが、使徒たちと食事を共にしていたとき、このように命じました。

「エルサレムを離れず、(前にわたしから聞いた、)父の約束されたものを待ちなさい。」(使徒1:4a)と、いうものです。

この、父なる神が約束されたものとは何を意味していたのでしょうか?

まさに「聖霊降臨」のことです。

そのとき、主イエスは弟子たちに、「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」と、その理由を告げています(使徒1:4b)。

さらに、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)と語られてから、主イエスは天に上げられました(使徒1:9)。

それから10日後、五旬祭の50日目となり、一同が一つになって集まっていると、このペンテコステの出来事が起こったのです(使徒2:1~4)。


ここでは、使徒言行録2章の5節と6節に注目したいと思います。

5節を御覧ください。

「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいた」(5節)と記されています。

「天下のあらゆる国から」という、あらゆる国とはどこかということについては、9節以下にユダヤを中心として具体的に記されています。

ユダヤの東のペルシャの「パルテヤ人、メジア人」そしてベンガル湾の「エラム人」、「メソポタミア」が記されています。そしてユダヤの西側となります。地中海の北側の現在のトルコ、ガラテア地方の「カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア」が記され、それから地中海の南側にあたる「エジプト、キレネ周辺のリビヤ」といった名が記されています(9~10a節)。

ここには、紀元前539年のバビロン捕囚以来のユダヤ人のディアスポラ(ギリシャ語のディア(分散する)とスピロ(種をまく)が語源)の歴史をふまえた、紀元1世紀のユダヤ人の居住分布図を見るかのような名が、ユダヤを中心にして、円を描くように記されているのです。まさに、初代教会が形成されようとしているこの頃には、神の摂理の中で、「あらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいた」(5b節)というのです。


6節では、「この物音に大勢の人が集まって来た。」(6a節)と、いうのですから、ペンテコステの大きな音響が天から起こった(2節)ということと符合します。

そして、「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」というのです(6b節)。

ここで、「自分の故郷の言葉」といった表現を、8節で「めいめいが生まれた故郷の言葉」と言い換えています。自分たちの先祖が、ディアスポラで移民して行った先のそれぞれ異なる言葉であることを強調して、既に1世紀には、ユダヤ人の故郷があらゆる国に広がっていたことが分かるのです。


2.バベルの塔

ペンテコステのこの出来事から、私は、かつて、人間の高慢の業(ごう)への警鐘として示されたバベルの塔の、「言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬように」(創11:7)され、「彼らを全地に散らされた」(創11:9)という、出来事を思い出さざるを得ません。

聖霊降臨とは、真反対の出来事です。初代教会を形成していったこのときの使徒たちは、「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(創11:4)と、奢り高ぶっていたわけではありません。父なる神の約束を信じてイエスの命令にしたがい、謙遜に心を一つにして聖霊降臨を待ち望んでいたのです。


3.摂理の中を歩むパウロ

ところで、パウロは霊の働きによって、ヨーロッパ伝道へと導かれていったことは、皆さんご存知のとおりだと思います。そして、パウロはアテネで、とても辛く苦しい経験をしました。当時のアテネの人々は、何か新しいことを話したり聞いたりすることで時間を過ごしていたので、パウロが(死者の)復活の話をすると、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」(使徒17:32)言って、聞く耳を持たなかった、というのです(使徒17:32)。

このときパウロは、「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」(Ⅰコリ2:3)な状態でした。そして、アテネを出て西に向かい80km先にあるコリントに来たときには、パウロは重大な決心をしていました。

イエス・キリスト、それも「十字架につけられたキリスト」以外は、何も知るまいとイ決心したのです(Ⅰコリ2:2)。


この「十字架につけられた」という言葉は、ギリシャ語では、完了形、受動態、分詞で表されています。ですから、①過去に完了して、②その影響が現在も続いている行動として示す表現として、「十字架につけられた」というのです。

パウロは、伝道旅行の中で、イエス・キリストの本性が、「十字架につけられた」ことによって明らかにされ続けていることを確信しました。そして、「十字架につけられた」を、証し続ける決心をしたのです。十字架は、復活したのだからといって、決して帳消しにはなるものではありません。イエスの復活も昇天、そして聖霊降臨の出来事も、イエスが十字架につけられた方であることを知ることが、福音の根底なのです。

アテネで思ったような成果を感じられなかった経験を経て、摂理の中を歩んだパウロは原点に立ち返りました。パウロの(発する)言葉も説教も、知恵の言葉による説得力(peithos)によってではなく、霊と力による威力(demonstration)によるものとなっていた(Ⅰコリ2:4、私訳)と、いうのです。


こうして、パウロは、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリ12:9a)ということを知りました。そして、「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリ12:10)と告白しているのです。


4.私たちの歩み

私たちは、各教会から推薦をいただいて共に神学の学びをさせていただく恵みの中に生かされています。そして、毎朝、聖霊に導かれて、ひとりひとりが励まされ、人の知恵ではなく神の力、聖霊をいただくよう、共に祈りを捧げています。


バベルの塔に象徴されている人間の高慢こそ、ペンテコステの聖霊降臨を追い出してしまう罪であることを知りました。この高慢という罪は、だれもが誘惑に引きずり込まれやすいものではないでしょうか。果たして、私たちはそれぞれの人生を通じて得た知識や知恵の誘惑を閉ざすことができているのでしょうか。


私のような社会人生活の長いものは、質(たち)が悪いのです。知らず知らずのうちに自分の過去の成功体験や自分の知恵や知識に頼ってしまいがちです。言に慎まなければなりません。私は、知らず知らずに高慢に陥る罪を犯してしまっていることを告白し、主の赦しを乞い求めます。そして、この学び舎で、日々この罪を粉々にしていただくよう祈っているのです。皆さんと共に聖霊に満たされることを望むものとさせていただきたいのです。

そのためには、私たちは、神の前で謙遜でなければなりません。

大切なことは僅かです。主イエスを愛し、主イエスにしたがうことです。


(祈り)


新学期が始まり、この4月から神学生となった者たちが5月病に陥る危機をなんとか乗り越え、あなたとともに共に歩ませていただきありがとうございます。

そして、ペンテコステ礼拝を終え、運動会で身体を整え、昨日は全学祈祷会において一同であなたに祈りを捧げました。

これから、各教会から集められた多くの者が、8月から一か月にわたり、夏期伝道に遣わされて、福音を語って参ります。

私たち一同が、聖霊に導かれて、「十字架につけられたキリスト以外は、何も知るまい」と決心し、主イエスにしたがって、聖霊が充満した歩みが続けられますように、摂理の中をあなたと共に歩ませていただけますようにと祈ります。

 
 
 

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