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平和に過ごしなさい(マルコ9:41-50) 20250406

執筆者の写真: 金森一雄金森一雄

本稿は、日本基督教団杵築教会における2025年4月6日の受難節第5主日礼拝における説教要旨です。 杵築教会 伝道師 金森一雄 

(聖書)

レビ記2章11-13節(旧約164頁)

マルコによる福音書9章41-50節(80頁)

 

1.一杯の水を飲ませる者

マルコによる福音書9章41節bに、「一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」と書かれています。

主イエスは、マルコによる福音書12章30、31節で、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい。」という二つの掟がわたしたちにとってもっとも最も大切な掟であると言われました。キリスト教には、互助の精神があります。それは、もし主イエスが今もなおこの世界にいたとすれば、困っている人を実際的な方法で助けられるだろうと考えるからです。

 

今日の聖書箇所で、主イエスは、その助けとは一杯の水を飲ませることだと言うのです。主は、わたしたちの力を超えたことにおいて、他の人たちのためにするようにとは仰っていません。誰でもが与えることができるもの、 一杯の水を与えられるように求められているのです。乾燥地域のパレスチナでは、水を得ることは大変です。貴重な水をたとえとして用いて、目の前の人に差し出すささやかな思いやりこそが、神様から祝福されることだと仰っているのです。

 このことは、わたしたちにとって何と慰めに満ちたことでしょう。主イエスの憐れみ深い眼差しと広い心から漏れるものは何一つないと信じることができるとは何と幸いなことでしょう。そこに希望があるのです。

 

九州教区において行われている互助献金の呼びかけ文書の中に、「己の衣食のみに腐心して何のキリスト者か、自教会のみ、或いは己が好む集団をのみ思うて何のキリスト教会か、信徒も教師も主の御働きの広がりを覚えて、喜んで献げるものでありたいと願う。」というメッセージを受け取りました。そして、具体的要請として教師に対して、教会からいただく謝儀の1%を捧げてくださいというアッピールがありました。「一杯の水」のたとえに倣う実際的なものになっていると思います。杵築教会においても、こうした互助の精神を受け止めて参加できていることを知って感謝しています。

 

2.つまずかせる者のたとえ

42節以下では、「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は」で始まっています。一杯の水を飲ませることは永遠の報いを得るのですが、ここでは、弱い小さな者を躓かせる者は永遠の罰を受けると書かれています。


42節に書かれている、大きな石臼を首に懸けられて海に投げ込まれるという死刑の方法は、この時代には実際にありました。弱い兄弟たちにつまずきの石をおく者に対する刑罰は、とても厳しいものなのでした。

43節では、「手」、45節では「足」、47節では「目」を用いたたとえを語られます。

わたしたちの体の一部が、人をつまずかせるというのですから、人間は誰もその罪から免れることはできません。

悪いと分かっていながら、つい、手が出てしまう。悪いことだと分かっていながら、つい、足を踏み入れてしまう。見る必要のないものだけど、つい、目がいってしまうのです。誰にでも思い当たることです。

 

3.地獄

お気付きになられた方もあると思いますが、43節と45節の間と、45節と47節の間には、み言葉が書かれていません。代わりに十字架のようなマークが印刷されてます。

98頁のマルコによる福音書の巻末に、十字架のようなマークがある44節と46節には、48節と同じ「地獄では蛆(うじ)が尽きることも、火が消えることもない。」というみ言葉が省略されているという注記が書かれています。

とすると、「地獄では蛆(うじ)が尽きることも、火が消えることもない。」という、同じ言葉が三度も繰り返されていることになります。主イエスは、自分の体の一部の手、足、目をたとえに用いて、つまずかせる者は、いずれも「地獄の火」を免れないと強調しているのです。


「地獄」とは何でしょうか。どんなところなのでしょうか。

「地獄」は、原典のギリシア語では「γέενναゲヘナ」で、エルサレムの城壁の南にあるヒノムの谷の地名です。日本昔話に出てくる地獄ではありません。

旧約聖書のエレミヤ書7章31節(旧1190頁)に、このγέεννα(ヒノムの谷)で、まことの神ではない偶像の神々への礼拝がなされ、息子、娘を火で焼いたと、いわゆる人身御供(ひとみごくう)がなされた偶像礼拝の汚れた地として書かれています。そして32節には、「殺戮(さつりく)の谷と呼ばれる日が来る」と書かれています。後に、町の汚物や動物・罪人の死体が、ヒノムの谷で焼却されていました。


4.火と塩の働き

49節で、「人は皆、火で塩味を付けられる。」という言葉が出てきて、「地獄」から「火」、「火」から「塩」と進み、地獄から遠ざかるために、この塩が大事になることが語られています。ここでの火は、48節までの「地獄」の火のことではありません。「地獄」で塩味を付けられるというのではないのです。

酵母を入れずに練られた小麦は、火で焼かれることによって内に塩を持つので、塩味が付けられたパンになりますので,そのことを指しているのでしょう。

 

ルカによる福音書 3章16、17節(新106頁)には、洗礼者ヨハネの言葉として、「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」と書かれています。

洗礼者ヨハネと主イエスは、「(聖霊と)火」で洗礼を授けられる」と、地獄の火ではなく、洗礼の火によって塩味を付けられる道が拓かれたことを人々に告げたのです。


わたしたちは、キリストによって救われました。キリストによって救っていただいた命に生きることができます。もはや地獄の炎を見る必要がなくなりました。

わたしたちは、そのようにしてくださったキリストを信じて歩むことで、主イエスによって罪を赦され、神の和解を受け、互いに平和に過ごすようにと主イエスに召されたのです。

 

50節には、「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。」と書かれています。人をつまずかせるのは、自分の内に塩を持っていないからだ、塩がないから平和に過ごすことができない、自分自身の内に塩を持ちなさい、と主イエスは言われているのです。

 

自分自身の内の塩は、どのように持つことができるのでしょうか。神様との契約の塩を自分の内に持っているならば、つまずいたとか、つまずかされたなど、自分の罪を誰かのせいにすることがなくなります。

ここで主イエスは、ご自分の周りに集う破れだらけの、弱く貧しい者たちに向かって、また苦しみや悩みの絶えない一人一人に向かって、あなたたちこそが大切な塩なのだと仰ったのです。わたしたちはみな、神様から、イエス・キリストによってこの言葉を通してすでに地の塩とされているのです。自分自身の内に塩を持っているからこそ、わたしたちは塩で味付けされた言葉で語れるのです。


主イエスは、神の和解を受け入れた私たちを弟子としてご自分の体なる教会に召してくださるのです。そして、教会を通して私たちを用いてくださって和解の福音を宣べ伝えさせ、この世に神の平和を実現されます。

教会は、神の平和を証しするために、和解の福音を携えて世に遣わされて行くのです。

 

塩について書かれている旧約聖書のレビ記2章13節に、「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ」と書かれています。

献げ物をする場合には、その献げ物に塩をかけていたのです。


献げ物が塩で処理されたように、人は火で処理されなければならない、火は命を神に受け入れられるものとする塩である、と言っていることになります。火は人生を清めるものであり、火は破壊と結びつくもので、試練、困難、危険を耐え忍んだ人生が、神に受け入れられるということを述べているのです。


5.平和に過ごしなさい

最後の50節の終わりに、「そして、互いに平和に過ごしなさい。」と書かれているのです。この今日の聖書箇所の総括となる言葉で、「平和に過ごしなさい」を説教題とさせていただきました。

 主イエスは、「一杯の水」を飲ませる者は、必ずその報いを受ける、と約束してくださいました。そして、自分の手、足、目で他の人をつまずかせることなく、塩で味付けされた言葉を人々に告げ知らせ、自らもその言葉を聞いて歩み、「平和に過ごしなさい」と、わたしたちに仰っているのです。

 

わたしたちは、神の独り子イエス・キリストの恵みに、既にあずかっていて、キリストのいのちの血潮を注がれているのです。わたしたちは、その恵みの中で、他の人を慰め、励まし、生かし、他の人の良い味を引き出し、他の人にいのちのことばを語る者へと変えられていくのです。わたしたちは、互いに平和に過ごし、平和を作り出す、平和につながる、歩みをさせていただくのです。


今日の聖書箇所で、「命にあずかる方がよい」「神の国に入る方がよい」「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」と激しい言葉で語られた、主イエスの熱い思いと神様の願いを受け止めて、ご一緒に主の恵みの光の中を歩み続けさせていただきましょう。



 
 
 

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