「十字架の言葉」
ΠΡΟΣ ΚΟΡΙΝΘΙΟΥΣ Α1:18-21 (Nestle 1904 Greek New Testament)
18 Ὁ λόγος γὰρ ὁ τοῦ σταυροῦ(十字架の言葉は) τοῖς μὲν ἀπολλυμένοις(現分詞:滅びゆく者にとって) μωρία ἐστίν,(愚かなものです) τοῖς δὲ σῳζομένοις ἡμῖν(現分詞:私たち救われる者にとって) δύναμις Θεοῦ ἐστιν. (神の力です) 19 γέγραπται γάρ(それは、こう書いてあるからです) Ἀπολῶ(未来=私は滅ぼそう) τὴν σοφίαν① τῶν σοφῶν②, (知恵ある者の知恵を) καὶ τὴν σύνεσιν τῶν συνετῶν(悟りある者の悟りを) ἀθετήσω(未来=私は退けよう). 20 ποῦ σοφός③; ποῦ γραμματεύς; ποῦ συνζητητὴς τοῦ αἰῶνος τούτου; (何処にいるのか?知恵者、学者、論客は、いない!) οὐχὶ ἐμώρανεν(過去:愚かなものとしなかったか?) ὁ Θεὸς τὴν σοφίαν④ τοῦ κόσμου; (神はこの世の知恵を愚かなものにしたよね!) 21 ἐπειδὴ(since) γὰρ(確かに) ἐν τῇ σοφίᾳ⑤ τοῦ Θεοῦ(唯一神の知恵に於いて) οὐκ ἔγνω(過去:理解しなかった) ὁ κόσμος (世は) διὰ(によって) τῆς σοφίας⑥ τὸν Θεόν(唯一神の知恵), εὐδόκησεν(過去:よいと思った) ὁ Θεὸς(唯一神は) διὰ(によって) τῆς μωρίας(愚かさに)τοῦ κηρύγματος (宣教の) σῶσαι(不定詞=救い出すことを)τοὺς πιστεύοντας.(信じる人々を)
第一コリント1章18ー21節 (聖書協会共同訳)
18:十字架の言葉は、滅びゆく者には愚かなものですが、私たち救われる者には
神の力です。
19:それは、こう書いてあるからです。
「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし/悟りある者の悟りを退ける。」
20:知恵ある者はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
21:世は神の知恵を示されていながら、知恵によって神を認める(知る / 理解する)には至らなかったので、神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになりました。
1.祈り
昨年からCovid19の渦中で私たちの東京神学大学での学びが始まりました。2年目に入った今年は、生活倫理講座も開催されました。そして、卒論のテーマを探る学部演習も始まりました。
ここまで、主の憐れみの中に生かされ、学校教職員の皆さんの祈りに支えられながらこの大学の学びを進められたことは、あなたの召しであり恵みです。
このゴールデンウィークには、新しい寮への引っ越しを済ませ、再びWebexを用いたハイブリット型の講義が始まりました。今朝のクラス別祈祷会もこうして続けています。今朝も私たち一人一人に新たな聖霊を注ぎ込んでください。
全世界の医療従事者が守られ、必要な感染症対策が進められますように、全世界のワクチン接種が一日も早く終えられますように、ここで共に学ぶ皆の気持ちを一つにして、御前にこの祈りをお捧げいたします。アーメン。
2.コリントとパウロの出会い
今朝は、現在共にいてくださる主がどのようにこの東京神学大学の中で私を導き続けてくださっているのかを証しさせてください。4人の学友に聖書朗読をお願いしましたが、まさにこの様に、私はよき友に助けられながらじっくり牛歩で歩んでいます。
先週、新約聖書釈義の中野先生の講義の中で、①聖書の原典をよく調べて本文批判をすること、②いくつかの日本語訳聖書と注解書を読んでその聖書箇所の歴史的文化的背景を学ぶことの大切さを聞かされましたので、今回早速チャレンジしてみました。
先ずは、古代ギリシャのコリントについて調べてみましょう。
コリント式の建築様式と言えば誰でも一定のイメージを抱くと思います。聖書には、現在のシリアに近いトルコの南東部タルソスで生まれたパウロが、伝道旅行という多くの経過を経てギリシャ南西海岸のコリントに行ったことが記されています。
使徒の働き16章には、パウロの第二次宣教旅行において、①アジア州でみ言葉を語ることを聖霊から禁じられたこと(ACT16:6)、②そしてトロアスでの一夜、パウロは一人のマケドニア人を幻で見ました。そして、「マケドニア州に渡ってきて、私たちをたすけてください」と言われたのです。このときパウロは、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至った」(ACT16:10)と記されています。
こうしてパウロのギリシャ宣教、ヨーロッパ宣教の幕が開かれて、始まりました。
フィリピから、テサロニケを経て南のアカイア州へと導かれて行くのです。
アテネでは、パウロの死者の復活の話をあざ笑う者がいたことが記されています。ここでは、多くの収穫を得ることが出来なかったようです。(ACT17:32~34)そして、コリントに到着します。
コリントの町で、クラウディウス帝がAD49年に、ローマからのユダヤ人追放令を出したことから、イタリアから来ていた(ACT18:2)アキラとプリスカ夫妻と運命的な出会をするのです。パウロは、この夫妻とともにテント職人仲間としてコリントでの生活を立ち上げました。なお、誤解のないように補足しておきますが、AD49年に出されたこのユダヤ人追放令は、クラウディウス帝がAD54年に逝去したので、5年で撤回されています。
パウロの言葉を聞いて、会堂長のクリスポは一家をあげて主を信じるようになります。また、コリントの多くの人々も、信じて洗礼をうけました。(ACT18:8)
ここで、コリントにいたパウロに、主が幻の中で『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』と語ってくださったと記されています。(ACT9、10節)こうして、パウロは1年半、18か月にわたりコリントに滞在して、神の言葉を教えて多くの収穫を得ています。パウロは、第一コリント3章6節では、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」と、コリントの共同体は自分が植えたと語っているのです。
パウロは、AD51年にコリントを後にします。そしてその後AD55年ごろまでに、エフェソでこのコリント信徒への手紙を書いているのです。この手紙を書いたきっかけは、コリントのクロエ家の一員から、共同体に争いがあると知らされたからです。(コリント一1:11)そしてさらに多くの問題が当時のコリントの共同体では議論されていたことがこの手紙から分かります。そしてパウロは、この手紙によってコリントの共同体が抱える一つ一つの事柄について愛を込めて助言していることが分かります。
3.コリントの町
ところで、コリントは、西のケンクレアと東のレカイオンの二つの港をもち、エーゲ海とイオニア海の間の東西方向の貿易と南北方向の陸上交易の要衝でした。
コリントの東11kmにあるケンクレア港は,アジア通商航路の終点でした。東側の小アジア、シリア、フェニキア、エジプトと西側のイタリア、スペインから船がやって来て、東西それぞれの港で一旦貨物を下ろして、貨物は陸を通って数キロ離れた反対側の港に運ばれて、再び別の船に積み込まれて送り出されていました。コリントにおいて、このように船から陸路に切り替えたのは、ペロポネソス半島を回る300km余りの航路を進むより陸路の方が安全だったというコリントの地形があったからです。このため、コリントは船舶と人々の停泊地となっていましたので、パウロがアキラとプリスカ夫妻とともに天幕つくりの仕事をして生活を共にした(ACT18:1)とありますが、船の帆布を修繕する仕事をしていたと納得ができるのです。
西への玄関口レカイオンは、商業港だっただけでなく,大きな海軍基地でもありました。パウロはここで,気ぜわしい買い物客や実業家、店主、奴隷などに精力的に伝道して、まさに福音を植えていったのでしょう。今では、葦の茂る干潟になっていて、昔の地中海有数の大きな港の面影はないようですが、いつか行ってみたいと思っています。
このように二つの港に挟まれたコリントは、洗練された国際都市として発展する一方で、外国船から持ち込まれる様々な悪徳にまみれるようになったことが想像できます。ケンクレアとレカイオンという二つの港があったので、コリントは繁栄していました。そして皮肉にも、この二つの港があったので、この手紙で性の問題が取りあげられているように、コリントのクリスチャンの生活は霊の闘いに巻き込まれていったのです。現代の世界も同じです。物質主義や不道徳といった腐敗的な問題が、神を恐れる人たちを霊的に脅かしているのです。
4.本日の聖書箇所
パウロは、この手紙の中で共同体の一致の必要性を熱く語っています。そのうえで、私たちの働きの原点として最も大切なことを語っています。それは、私たちが必ず陥る人間の奢りや知恵に対する誇りや偏重への警鐘です。知恵が、福音の最も深い論理に対立することを示すために、パウロは十字架の言葉λόγοςと知恵σοφίᾳの対立を語っているのです。リチャード・二―バーであれば、これを「キリストと文化」の対立だと語るでしょう。
本日の聖書箇所を原典で確認してみました。
①18節は、人間を二分して滅びゆく者と救われる者という二つの現在分詞を用いて区分しています。そして、十字架の言葉を聞いたものは、悲痛な十字架上のイエスの死が愚かなことに思えて、どうしてこの世の救いの出来事なのか理解できなくて当然です。しかし、救われる者のためには、この愚かに見える十字架の出来事が神の力となって働いてくださり救いの業が成就する、そしてそれは現在のこの瞬間にも進行している福音として、パウロは現在形を用いて宣べているのです。
②19節は、旧約聖書イザヤ書29:14の引用です。イザヤ書のその前の13節では、口先だけで信仰を語る人間について批判していることを私たちに思い出させます。私は滅ぼそう(Ἀπολῶ)と語る主は、今日の第一コリント1章17節の「滅びゆく者」(ἀπολλυμένοις)と同じ語幹が重なって心に訴えかけてきます。とかく論理的に必然性のあることが真理であるように感じられ、居心地がよく感じてしまう、現代に生きる私たちに気付きを与える言葉となっています。
③20節では、どこにいる、どこにいる、どこにいると、三度同じ疑問形の文型を用いて知恵の知恵者、学者、論客の存在について私たちに尋ねています。そして、そうした者はどこにもいないよねと語り、さらに神はこの世の知恵を愚かなものとされなかったのか、されたよね。と過去形の否定疑問文を用いて、人間の喝采や評価が神から全否定されることを強調しているのです。
④そして21節では過去形を用いて、一回限りの出来事として語っています。
「事実(確かに)、この世界は神の知恵の中にあって、神の知恵によって、神を理解することが出来なかったので、神は宣教の愚かさによって、信じる人々を救い出したことを良しとされた。(神の知恵にかなっている)」と続けているのです。
今日の聖書箇所でパウロの神学的主眼が示されています。それが、痛ましくて絶望するような十字架の出来事そのものが、神の力であり神の知恵であり神の救いの出来事であるという逆説です。まさに、すべての人間的な価値観、文化が覆されたことを、現代に生きる私たちは重たく受け取らなければなりません。
私たちは真の宣教の働きに聖霊が伴うことを知って、コリントの信徒への手紙一12章3節の言葉を固く信じているのです。
そこで、あなたがたに言っておきます。神の霊によって語る人は、
誰も「イエスは呪われ よ」とは言わず、また、聖霊によらなければ、
誰も「イエスは主である」と言うことはできません。
(聖書協会共同訳)
5.終わりに
最後に、コリントの信徒への手紙一1章 17節を朗読させていただいて、私たち神学生への派遣の祈りとしたいと思います。
キリストが私を遣わされたのは、洗礼(バプテスマ)を授けるためではなく、
福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架が空しくならないように、
言葉の知恵を用いずに告げ知らせるためだからです。(聖書協会共同訳)
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