幼子のような信仰(マルコ10:1-16)20250413
- 金森一雄
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更新日:5 日前
本稿は、日本基督教団杵築教会における、2025年4月13日の受難節第6主日礼拝説教要旨です。杵築教会 伝道師 金森一雄
(聖書)
創世記2章18-25節(旧約3頁)
マルコによる福音書10章1-16節(80頁)
1.主イエスは、この時どこにいたのか
マルコによる福音書の10章1節に、「イエスは、そこを立ち去ってユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた」と書かれています。
主イエスが「そこ」を立ち去ったという、「そこ」とは、どこなのでしょう。
マルコによる福音書9章2節(新78頁)に、主イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて高い山に登られたと書かれていました。高い山とは、ガリラヤ湖の西南16km(10㍄)のタボル山(変貌の山)だと言われています。その山の上で、イエスの姿が真っ白に変わりました(マルコ9:3)。山の下では、汚れた霊に取りつかれた子をいやすことができなかった弟子たちとその父親がいましたが、主イエスは、彼らに「信じる者には何でもできる」(マルコ9:23)「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」(マルコ9:29)と言われて、その汚れた霊を追い出されました。
それから、「一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った」(マルコ9:30)と書かれています。変容の山を去って、「一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、・・・」(マルコ9:33)と書かれています。ですから、主イエスの一行が宣教のベースキャンプとしていたシモンとアンデレの家(マルコ1:29)に着いていたことになります。
ですから10章1節で、「そこを立ち去って」と言っている「そこ」とは、主イエスの一行が宣教のベースキャンプとなっていたカファルナウムだと考えて良いと思います。
2.立ち去ったとは
10章1節では、「去って」ではなく、「立ち去って」と書かれています。
ギリシャ語の原典ではアナスタスἀναστὰςです。アナスタスは、何度か用いられている言葉ですが、文脈によって、イエスが「起きて」(マルコ1:35)、収税人レビが「立ち上がって」(マルコ2:14)、そして7章24節と10章1節では、イエスが「立ち去って」、そして16章9節では、イエスが、「復活して」と翻訳されています。主イエスの「復活した」という時に用いられています。
7章24節と10章1節では、「どこどこに「立ち去って」・・行った」と翻訳されています。
7章では、イエスに殺意を持った律法学者やファリサイ派から距離を置こうと、カファルナウムを立ち去って異邦人の地である「ティルスの地方」に行った、と書かれています。そして異邦人の「シリア・フェニキアの女」の娘をいやし、「シドン(ティルスの北方の地中海沿岸)を経てデカポリス地方を取り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた」と書かれています。ユダヤ人の地から「立ち去って」という翻訳はぴったりしたニュアンスで受け取れます。
10章1節でも、「立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた」と書かれています。今回向かった「ユダヤ地方」とは、現在のイスラエル国家とパレスチナ自治区が存在する、地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の地名です。旧約聖書では、「約束の地カナン」として、神がイスラエルの民に与えた地です。
そして、「ヨルダン川の向こう側」については、民数記34章14節 (旧274頁)に、「イスラエルの嗣業の土地」の記述のなかで、おびただしい数の家畜を持っていたルベン族とガド族にとって家畜を飼うのに適した所(民32:1)だとして、他の9部族に先だってルベンとガドとマナセの半部族に既に与えられていたことが書かれています。
ちなみに、新約聖書のヨハネによる福音書10章40節(新188頁)には、「イエスは、再びヨルダン川の向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された」と書かれています。
当時は、祭司長とファリサイ派の人々が、「イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた」(ヨハネ11:57)状況でした。主イエスは、自分が十字架に架けられる前にできることとして、ガリラヤの地から始まり、異邦人の地にまで福音を宣べ伝えていました。そして今、主イエスとその一行の宣教のベースキャンプ地であり心の故郷になっていたと思われるカファルナウムを立ち去ろうとしているのです。ユダヤ地方、就中ご自身の十字架刑の行われるエルサレムと、自分たちのルーツとなる地に向かう決意を感じさせるのに、相応しい言葉として、立ち去る、立ち上がる、復活を意味するアナスタスという言葉をここでマルコが用いたのではないかと考えられるのです。
3.結婚と離縁
10章2節以降では、第一回目の主イエスの十字架の死と復活の予告をする際に、8章34節で「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と、主イエスが言われたことが書かれていました。一番重い十字架は、主イエスが背負ってくださいますが、主イエスは、わたしたちにも自分の十字架を背負いなさいと仰っています。そして、わたしたちが自分の十字架を背負うということは、具体的にどういう生き方なのかということが、説明されています。
ファリサイ派の人々が出てきて、夫が妻を離縁することは律法に適っていますかと、主イエスに質問しています。そして、「イエスを試そうとしたのである」とマルコが説明しています。マルコは、このようなイエスを試そうとする心は、わたしたち誰もが持っている罪の姿、人間の姿であることとしてわたしたちに警鐘を与えているのです。
ファリサイ派には何か魂胆があったようです。
そこで主イエスは3節で、ファリサイ派に対して「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返されました。続いて4節で、「彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました。」と言った。」と書かれています。
彼らは最初から自分たちの答えを用意していていました。
旧約聖書の申命記24章1節(旧318頁)には、「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。」と書かれています。
当時の律法学者たちは、離婚理由とする、妻の「何か恥ずべきこと」という解釈について、様々な議論をしていました。
マルコによる福音書6章14節(新71頁)の「洗礼者ヨハネ、殺される」という聖書箇所を思い出してください。当時のガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、義兄弟のヘロデ・フィリッポの妻、ヘロディアを奪い自分の妻としていました(マルコ6:17)。洗礼者ヨハネは、ヘロデとヘロディアの結婚は、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」と言って苦言を呈していました(マルコ6:18)。
ヘロデ大王の後継を巡っては、ヘロデ大王が健在な時から激しい権力争いが続いていました。その一族の争いの中で、女性としての立場からヘロディアの恨みの心は、察して余りあるものがあります。ヘロデ・アンティパスの誕生日の祝いの席の余興で踊りをおどった娘のサロメへの褒美として、娘の口を用いて「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願わせて(マルコ6:25)、ヨハネを亡き者としていました。
当時、離婚問題について表立って議論することは、ヘロデ家の権力者たちの恨みが飛び火して、殺されかねないような微妙な問題だったのです。
ファリサイ派の人々は、主イエスをこの問題に引きずり込むことによってヨハネと同じ運命をたどらせることができると考えたのです。
マルコによる福音書10章5節で、主イエスは、モーセの教えについて、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。」と言っています。結婚生活が破綻した結婚から女性を解放して人を生かし合うための神様の憐れみを表すもので、気まぐれを起こす男に女性が振り回されることがないよう女性を守るものだったと説明したのです。
ファリサイ派の人々の関心事は、自分たちが結婚問題に悩んでいたというわけではなく、あくまでも主イエスを陥れるための切り口を探すことだったので、これ以上の議論にはなりませんでした。
4.天地創造の神の意志
本日与えられた旧約聖書は、創世記2章18-25節(旧約3頁)です。
18節で、「主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」」、20節で「自分に合う助ける者は見つけることができなかった」、24節で「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」と書かれています。
人は、他の動物とでは、本当の意味で一緒に生きる者とはなり得ませんでした。しかし、主はわたしたちをあわれんでくださり、男のあばら骨の一部から造られた女をかけがいのないパートナー、ふさわしい助け手として与えてくださったのです。
マルコによる福音書10章6節には、この創世記2章を引用して、「人は創造の初めから、神は人を男と女とにお造りなった」、7節、8a節では、「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」、と書かれているのです。ここで、「(父母を)離れて」と訳されているκαταλείπωというギリシャ語は、「捨てる」と訳せる言葉です。親にとっては厳しい表現かもしれません。自分の手元に置いておくことができると思っていた子どもが、ある日親を捨てるように離れていくということです。
9節の「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」と言う言葉は、教会の結婚式で結婚の宣言がなされて結婚の誓約をした二人に対して、司式者が、父と子と聖霊の名において、二人が夫婦であることを宣言する時に用いているものです。
結婚をする二人も、結婚式に出席している多くの者たちも、結婚式でのこのような宣言を当たり前のように聴いていますが、その当たり前のようなこと、主イエスの言葉どおりに生きることに難しさがあります。
結婚に限らず、人は互いに愛し合い,助け合う者として神様に創造されたことを覚えていなければならなりません。男と女、親と子、他にも様々な関係があるでしょう。いずれも違う人間です。そして人間はロボットではなく、互いに違う者として、しかし助け合う者として生きるのです。
今を生きる私たちも、心がかたくなで人と共に生きる難しさを感じています。ですからこの問題は、ファリサイ派の人々だけの問題ではなく、わたしたち教会に集う者たち全員への主イエスの慈しみ、愛のメッセージなのです。
5.幼な子のような信仰
続いて13節には、弟子たちが「(人々を)叱った」と書かれています。たしなめるとも訳すことができて、それほど強い感情を表す言葉ではありません。しかし14節の、主イエスが弟子たちを「(見て)憤り」という言葉は、憤慨する、怒り狂うという厳しいものです。
主イエスが弟子たちを見て激怒したのですから、弟子たちもびっくりしたでしょう。弟子たちは主イエスに一番近い存在でしたから、神の国は自分たちのものだという特権意識があったのでしょう。そのことを主イエスは厳しく憤られているのです。
主イエスは、子供を人格を持つ一人の人間として見つめること、そして親と子が共に生きることを強く求めています。そして主イエスは、14節bで、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と言われたのです。
そして15節で、「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と仰って、16節で「そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」と書かれているのです。
今日も皆さんは、礼拝に出席してみ言葉に耳を傾けています。これから先、晩年に至るまで、主に背負われ、生かされていくということをわたしたちが受けいれることこそが、主の喜ばれることなのです。主イエスによって赦された者として、神に抱かれている幼子のような信仰を持つ者でありたいと願います。

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