本稿は、2022年夏期伝道実習報告の一部です。
金森一雄
東京神学大学が各教会と協同して行う夏期伝道実習で、伊東教会に8月5日から9月4日まで一か月間遣わされました。主イエスは、十二人の弟子たちを派遣するときに、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために、何も持って行ってはならないと仰いました(ルカ9章3節)。ところが私は、この聖書箇所を十分理解できないまま、運転免許証と健康保険証と財布、そしてトランクの中には十分な着替え、さらには好物の梅干まで詰め込み、リュックにはパソコンとアイパットまで入れて行く不信仰者です。
教会に到着すると、日曜学校の参加者はもとより、信仰歴の長い年配の信徒の方からも「先生」と呼ばれて戸惑います。出会ったばかりの教会員の話に耳を傾け、自己紹介と称して証をさせていただき、ショートメッセージや説教の実習が続きます。準備した説教案については、質問の嵐です(その時はそう感じました)。神学生の語るメッセージの建付けや説教の内容はもとより、挨拶、笑顔、目つき、しぐさ、発音に至るまで、教会員の皆さんから沢山の愛の鞭をいただきます。私は、献身する前には、人に指図されたり指導されたりされることは敗者になるような気がして大嫌いでした。それが不思議なことに、夏期伝道実習神学生として遣わされている自分が、いつの間にか多くの方からのアドバイスすべてに喜びを感じる者に変えられていることに気付きました。
私にとって二度目となる2022年の夏期伝道実習期間は、日本のコロナの新規感染者数が「四週連続世界一」という報道がなされた時期と重なりました。東京からの他府県移動について自粛が求められていることもあり、私はPCR検査の陰性証明書を用意して出かけて行きました。伊東教会では、コロナ後の伝道の重点として家庭集会の開催を予定していました。ところが、最初に予定されていた二軒とも家族の陽性者が発生して開催が見送りとなりました(何と、開催中止確率100%)。それでも教会全体の伝道への祈りが一つとなり、三週間遅れとなりましたが家庭集会が開催されました。私の証を聞いていた婦人が、とてもタイミングのよいところで、多くの質問をしてくださいましたので、すぐそばに近寄って目と目を見合わせてお話しさせていただきました。それから、プログラムにはなかったことが起こり始めました。そのご婦人が、お一人で伊東に転居されるに至った波乱万丈の体験談を、奥歯を噛みしめるように静かに語り始めてくださいました。それを聞いた参加者が、共に悔い改めの祈りをして主イエスに感謝するときが与えられたのです。
感染症対策として、私の宿泊先が転々とすることになりました。K教会の南伊東修養所を急遽お借りできました。源泉かけ流しと聞かされましたが、水量が少なくシャワーでは用を足せません。蛇口を捻ってからお風呂が利用できるまで二時間かかります。夏期伝神学生タイムなのかなと受け止めていましたが、今思い起こせば、朝出かけるときに蛇口を開けておけばよかったのですね。後の祭りです。お盆の最盛期は、その修養所の利用予約が入っていたため五日目には退出しました。
それから、三月に曳舟教会の牧師を辞任された上田光正先生が本の執筆場所として借りておられる伊東の事務所に五日間お世話になりました。吉祥寺教会で竹森満佐一先生にご指導をいただき光正先生が献身されたことや、牧師の本懐、説教の果たす役割などについて参考書籍を示していただきながら教えていただきました。夏期伝道実習期間中ずっと、私のように伊東教会の上田彰牧師、文牧師、そして光正先生と、三人の牧師にご指導いただいた神学生は、おそらく私だけだと感謝しています。
さらに生活面でも恵みと学びがありました。公衆温泉は徒歩二~五分のところに二箇所(一回、三百円)あり、文先生からいただいた牛乳石鹸一つで、頭の先からつま先まで洗い清めて気軽に楽しむことが出来ました。良い香りのするシャンプーは無用です。今回は、急遽用意された宿泊所ですから、洗濯機もありません。近くにコインランドリーもありましたが、私は自分の下着だけを毎晩手洗することにしました。こうして主は、「旅には何も持って行ってはならない。(中略)下着も二枚はもってはならない。」(ルカ9章3節)という御言葉の真意が何であるかを、不信仰な私に実体験させてくださったようです。
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