本稿は、東京神学大学夏期伝道実習における、2021年8月15日(日)の指路教会夜の祈祷会での奨励をまとめたものです。 神学生 金森一雄
聖書箇所:使徒言行録16章11〜15節
11:わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、
12:そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。
13:安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。
14:ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。
15:そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
1.パウロのヨーロッパ宣教の幕開け
今日の聖書箇所は、使徒言行録16章11〜15節です。この箇所は、パウロの2回目の宣教旅行で、エーゲ海の東側の現在のトルコのトロアスから、ヨーロッパに向けて出帆するところから始まります。画面共有させていただき、新共同訳聖書の巻末の「付録:聖書地図の8『パウロの宣教旅行2、3』」をご覧いただきます。
パウロの第2次旅行は、グレーの実線でその行程が記されています。画面中央右側のシリアのアンティオキアから陸路で西側に向かって陸路を進みました。リカオニア州のデルベ、リストラ、そしてイコニオン(コンヤ)には、第一次旅行ですでに行っています。一般論として考えれば、イコニオンからピシディア州のアンティオキアを経て西に向かって、エフェソスに向かう東西線が、アナトリア半島全体を南北に見通せますので、アジア州での宣教を進める基幹道として好まれるところです。
ところが、パウロのこの第2次旅行では、その道中2回にわたって「聖霊」と「イエスの霊」によってアジア州で御言葉を語ることが禁じられました(使徒16:6,7)。そのため、画面でご覧いただいている地図のグレーの点線のピシディア州のアンティオキアからエフェソスに向かう道、東西線ではなく、イコニオンから実践で示されている、やや北側のフィリキアを通って、途中で黒海に向かうことなども考えながら、主に導かれながらエーゲ海に面するトロアスに向かって行くことになりました。
さらにトロアスでパウロは、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と願うマケドニア人の「幻」を見ます。そしてマケドニアに向かうことが主の召しであると確信したのです(使徒16:8〜10)。
こうして主の召しによって、ヨーロッパへの宣教旅行に導かれていきます。サモトラケ島を経由してマケドニア州のネアポリスの港に着きます(11節)。そこからフィリピの町に入りました。せっかくの機会ですから、パウロの福音宣教がアジアからヨーロッパに展開していった様子を地図を見ながら確認しましたが、いよいよ今回の聖書箇所の中心部分に入ります。
2.フィリピの初穂
フィリピは、ローマの退役軍人たちを居住させたローマの植民都市(12節)でしたので、経済的には問題のない町となっていました。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行ったと記されて、「わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした」(13節)と記されています。ここでは主語が「わたしたち」となっていますので、筆者のルカがすでにパウロの第二次旅行に加わっていたことが確認できます。
その時に、トルコのティアティラ市出身の紫布を商う婦人リディアが、「神をあがめる」(14節)者から、「主を信じる」者(15節)に変わったことをルカが記しています。「紫布」は、当時の高級な布地です。リディアが高価なものを取り扱う商人で経済的に恵まれていたのではないかと推察されます。そして「神をあがめるリディア」(14節)と記されている点についてですが、「神をあがめる」という表現は、当時ユダヤ教においてよく用いられている表現ですので、リディアはユダヤ教に改宗していたアジア州に住んでいた異邦人(トルコ人)であったことを、ルカらしい表現を用いて示しているのです。
パウロの話を聞いた後、彼女も家族の者も洗礼を受けたこと、さらには、リディアの家にパウロを招いて宿泊をすることまで無理に承知させています(15節)。これらのことが、パウロによるヨーロッパ宣教における第一歩の出来事とされているのです。
今回の聖書箇所で、主が強くわたしに示してくださっていることは、初代教会が形成されていく希望です。これから、パウロのヨーロッパ宣教の初穂となったリディアが、フィリピの町で教会共同体の中心人物となって用いられていきますが、その第一歩では、やはり聖霊が強く働いて、時と場所と人を用意してくださっていることが分かります。
当時フィリピには、集会をする会堂は与えられていなかったので、川岸の祈りの場所でパウロとリディアは出会います。主なる神さまが働いてくださっている摂理であることが分かります。「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」(14節)のです。
主がリディアの心の扉を開いてくださったので、リディアの心の奥深くまでパウロの語る御言葉が届きました。リディアの心が揺さぶられ、それまで見えなかったことや分からなかったことに気付かされました。これが主イエスによる神さまの救いの恵みの出来事なのです。主の恵みでリディアが覆われています。そして、リディアと家族の者が洗礼に授かりました。
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