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ラブレターがパスポートに

  • 執筆者の写真: 金森涼子
    金森涼子
  • 2024年1月28日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年2月23日

本稿は、日本基督教団中渋谷教会の2024年1月28日発行の「会報」□聖書と私(第121回)に掲載されたものです。



聖書は神さまからのラブレターだと聞かされていたが、どんな意味があるのだろうか。聖書は、神さまの愛を伝えるために人間に与えられた神さまの言葉です。そうなのだ。と。わたしがそれを知るまでには紆余曲折があった。


夫が企業戦士として交代勤務なしのセブンイレブンのような勤労体制の銀行員で、時には24時を超えて仕事に明け暮れていたときのこと。ある日突然、夫の一雄さんがJesusに出会ったと慌てて。家の近くにキリスト教会があるかと聞いてきた。一雄さんは、初めて購入した自宅近くの様子を知らない。一駅先の右側に赤い屋根の教会の十字架を見たけれど、と私が答えると、すぐに案内させられた。


それから、私は右も左も、神が創造された天も地の意味も知らないまま、毎週日曜日ごとに無理やり教会に同行させられた。私は、夫不在の家庭生活の中にあって、娘と二人きりの時間を過ごす淋しい現実のなかで。限界を感じていた日々を過ごしていた。親にも言えない、言っても理解してもらえないというジレンマの中で。ただ時を静かにやり過ごすことしか考えられなくなっていた。


それでも、私が教会に行くようになると娘も行き始めた。私は教会に行くというよりも、家族で何処でも良いから出掛けたかっただけだったので、教会に家族で行くことができて嬉しかった。後楽園ドームのビリーグラハム国際大会などあちこちで開催される集会にも、訳が分からないまま連れられて行った。


そしていつのまにか、毎週の礼拝前に牧師の自宅で聖書を学ぶ集いに加わっていた。ある日突然、主任牧師が「ご夫妻でご一緒に洗礼を」と言ってくださった。夫はすぐにYesと答え洗礼を受けた。私は、「信仰は個人のものですよね」と生意気を言って、Passした。夫婦が切り離されたような気がした。


夫の洗礼式には、浄土真宗の檀家の金森ファミリーなのに、夫の両親も義理の姉も私と娘も参列した。すぐに夫は、演歌より賛美歌。賛美歌をコーラスしないと駄目だと指導し始めた。皆、音痴なのに。義父も義母も、一人息子可愛さで、なんでもありという姿勢で、駄目だしされながらも一所懸命だった。そのころ、義母は老人会のカラオケのひばり会に入っていて、1曲で良いから歌えるようになりたいと言って、大きなカラオケミュージュックボックスを買い求めて、朝から晩まで、深夜まで練習していたときで、歌えることが嬉しかったようだった。


こんな証の私ですが、御言葉のシャワーを浴びているうちに、私の心の中に神さまからのラブレターがどんどん増えて、夫の洗礼から四年後に牧師に自ら受洗志願した。私の眼には不思議に映ったが、その後この金森ファミリー合唱団は、娘、義理の両親へと、順次神さまの救いに与り、夫から始まる変則型親子三代のクリスチャンファミリーへと導かれた。


あるいは、神の憐れみが悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。(ローマ2:4)


悔い改めについて、その真理を知るためには、私たちの心と生活の全てをイエス様に明け渡す必要があるようだ。私はいつの間にか、まことの真理を自分の心に受け入れるためには、飛びぬけた才能や知性ではなく自分の人生の全てを捧げることが必要だと、気付かされていた。私が、もし聖書を知らなかったらどんな人生を生きただろう。そして、どんな結末を迎えるのだろうと思うと、今は背筋がぶるっとする。


この世の全ての偶像を手放す時がきたようである。

一雄さん(74歳)は伝道師として、神さまから地方都市に派遣される。

私も一緒に歩みだす。今の私にとって、聖書は老いの坂道を上り行き、イエス様と共に復活して天国に住まうパスポートです。イエスさまは、私たちの永遠の命です。



 
 
 

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