「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。」
(ルカ24: 28)
2022年4月、東京神学大学大学院の入学式が行われた。そして教会生活も、埼玉県の久喜、千葉県の土気あすみが丘、神奈川県の鎌倉と三つの教会を経て、中渋谷教会で礼拝を守ることがゆるされて、新たな道をまた一歩先に踏み出す準備をしている。
4月10日の中渋谷教会入会式での宣誓の言葉を噛みしめながら、午後のオリーブの会に参加させていただいた。学びのテーマは、マルコ4章の「種を蒔く人」のたとえであり、主イエスが私の地にも蒔いていてくださったことを思いめぐらしている。
私の47年に亘る社会人生活は、ずっと茨が伸びて覆いふさがれていた(マルコ4:7)東京砂漠の中で過ごした。1980年代に入り、経済の国際化と国債の大量発行という二つの『コクサイ』化が進展する中で、東京本社にバイリンガルの『ガイジン』を登用することが急務となった。このとき、日本に留学経験がある、シドニー大学を卒業予定のNさんを招聘することができた。
彼は入社後、セブンイレブンの営業時間帯で交代勤務無しで働く日本人のワークホリック状態に接し、またその先頭に立っていた私の姿を目の当りにして驚いていた。新入社員の彼は、昼休みなど時間の許す限り、私に聖書の神について語り始めた。私がキリスト教会に初めて足を運んだのは、このNさんと共にオーストラリアに出張したときで、彼の父親が牧会する教会である。そして帰国すると、彼は私に日本語の聖書を贈ってくれた。主イエスは、こうして茨で覆われた私の地にも種を蒔いてくださった。
神は、「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創世記2:7)ことを知り、そして茨で覆われた土となっていた私のところにも種を蒔いていてくださったことを学んだが、仏教徒の檀家の家でこの世の命を与えられ、偏差値社会にどっぷり浸かって育ってきた私の土は、すっかり干からびていて、主イエスが蒔かれた種が芽を出すまでには、それから10年の歳月を必要とした。
1994年45歳、恵比寿ガーデンプレイスのオープンに関わる仕事に就いて多忙を極めていたとき、ヘルペスで三日間自宅静養を余儀なくされた。そのとき、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2:17)という御言葉が、私の心の奥底まで届いた。自分は心の病人であり、主イエスに主治医になっていただかなければならないことを悟った。
それから信仰者として25年、70歳を迎え、主イエスは「なおも先へ」(ルカ24:28)行こうとされていることを知った。そして妻と祈りながら東京神学大学に進む道を選択した。
復活の主イエスと共に歩む道は、暮れゆく下り坂ではなく、次第に明けてゆく朝の光の中を歩く上り坂。厳しくとも、スイッチバックで進む、老いの緩やかな坂道としたい。
そして、これから中渋谷教会の皆さんと共に御言葉を聞き、礼拝を捧げ、賛美さいせていただけるのは、主イエスからの贈物、聖霊の招きだと感謝している。
お元気にお過ごしですか?日々、主の憐れみをいただきながら歩ませていただいています。この二年間で、ギリシャ語、ヒブル語、ラテン語にチャレンジしています。ボクシングでいえば面白みのないクリンチの連続です。また、食事の時を持たせていただけますように。お元気にお過ごしください。
金森大兄、主の聖名を賛美致します。金森大兄から見たら改めて私は未だ未だ青二才。私は今年47歳になりますが、去年度迄神学生していたせいか若いつもりが社会人としては充分中年であり老眼の始まりも感じ肉体の衰えを感じながら、大兄の様に若々しい前向きなキリスト者でありたいと拝読し思わされました。親しき交わり心より感謝しています。
互いに落ち着きましたら再会致しましょう😊松本秀史
素晴らしい証を読ませていただきました。感謝です。これからの歩みに主様の祝福が豊かにありますようにお祈りしています。
改めて金森さんご夫妻の歩んでこられた道を知り、棘の中に蒔かれた種を見事に実らせた主のみ業の偉大さに打たれます。
渡邊一美