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執筆者の写真金森一雄

あなたの伝道スピリットは?

更新日:7月12日


日本基督教団ユーカリが丘教会大串眞先生を講師にお迎えし、2022年11月8、9日大学セミナーハウス http://iush.jpを会場とした東京神学大学全学修養会を開催しました。

本稿は、開会礼拝メッセージの原稿です。

東京神学大学大学院 金森一雄

「恐れるな、虫けらのようなヤコブよ、イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。」   (イザヤ書41章14節)


「あなたがたの上に、聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」(使徒言行録1章 8節 )



(第一部~主の働き人)

2022年4月、コロナが猛威を振るう中で、先行きの見通しが立たない中で、修養会委員会が発足しました。皆さんに開催へのご意見をいただくことが大切だと考え、開催することの是非、修養会のテーマと希望する講師の先生についての、アンケートをお願いしました。


感染症対策を不安視して、開催について否定的な意見もありました。しかし、多くの方から伝統ある全学修養会の開催に向けて、前向き、肯定的、積極的なご意見を多数いただきました。皆さんがアンケートで記された、希望するテーマは『伝道』についてがほとんどでした。


主イエスは、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:24)と仰いました。主イエスは、わたしたちの罪のために十字架に架かられ、罪の赦しの実を与えてくださいました。主イエスと共に、わたしたちが畑からの実りを得るためには、最初に、私たち自身を十字架につけることが必要です。その上で、耕地を開拓する人、土地を耕す人、肥料をやる人、種を蒔く人、水やりをする人、そして刈り入れる人や農機具のメンテナンスをする人など様々な「働き人」を必要とします。そして、今日ここに集う一人一人が、その働き人として召されてここに集っているのです。



(第二部~光の子となる)

ところで、皆さんは、『闇夜(やみよ)に烏(からす)雪(ゆき)に鷺(さぎ)』という言葉を聞かれたことがありますか。闇夜に黒い烏がいても分かりません。また、白い雪の中に、白い色の鷺がいても、見分けることが出ません。よく言ったものです。神学的に申しあげれば、終末のこの時代は、闇夜であり、わたしたちは、その中にうごめく、原罪を抱えた烏であるということになるのでしょうか。


私たちは自ら光を発することはできません。しかし、天からの光を受けてその光を反射させることによって光を放つことができます。私たちは、主イエスの光を受けて、反射した光を放つものに、変えられる必要があるのです。


そのためには、原罪を抱えた私たちは、聖霊のバプテスマを受けなければならなりません。そして聖霊と共に歩むのです。準備は整いました。わたしたちは、もう烏ではなく、闇夜に浮かび上がる者とされるのです。マタイによる福音書5章14節には、

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」と記されています。私たちは、すでに光の子とされているのです。


クリスマスが近づきました。主イエスのご降誕を最初に祝ったのは羊飼いたちでした。夜通し、羊の群れの番をして、夜の闇の中で、野宿をしていた羊飼いたちのところに、主の天使が近づいて主の栄光が周りを照らしたのです(ルカ2:9)。このようにして、わたしたちのいる闇夜に光が届けられたのです。




(第三部~力を受ける)

しかし私たちの問題は、まだ残ります。私たちの心の中には「恐れ」がありますし、肉体的な「弱さ」があるのです。そんな弱い私たちに対する、イスラエルの聖なる神、主の励ましの言葉が、イザヤ書41章14節に記されています。「恐れるな、虫けらのようなヤコブよ、イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。」というものです。


あのヤコブに対して、虫けらのようだ、と主は仰っているのです。確かに人間は弱い者です。主イエスの弟子たちでさえ、ゲッセマネの園で、主イエスから目を覚ましていなさい、祈っていなさい、と言われてもいつの間にか寝込んでしまうのです。イエスが捕えられると、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう、人間の悲しい姿を顕わにするのです。


しかし、主は「わたしはあなたを助ける」と言われたのです。そして続く15節には、「見よ、わたしはあなたを打穀機とする。新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機と。あなたは山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする。」と告げられたのです。主は、虫けらのような私たちを、主のご用のために、鋭い刃のある打穀機として主が用いてくださるというのです。私たちは、主のご用のために、山々を踏み砕き、丘をもみ殻とすることに用いられるのです。


隣に座っている仲間を見てください。烏ではありません。虫けらでもありません。山々を、踏み砕き、丘を、もみ殻とする打穀機なのです。頑丈で壊れそうにない、力強い重機として主が用いてくださるのです。それは、自分ではとても考えられないことです。それが聖霊の働きなのです。


こうして、先ほどお読みした、使徒言行録1章 8節の「あなたがたの上に、聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」と記されていることが実現するのです。


そして、主イエスは、使徒たちに聖霊を受けるまで待っていなさいと告げられました。使徒たちは、命をかけて主イエスについていくと言いながら、主イエスを裏切り、見捨てた自分を覚えており、魂が砕かれていたのでしょう。主イエスの命令に従って、共に祈りながら、聖霊を待ち望んだのでいたのです。


神が、神の国の働きのために用いる人は、自分の弱さを知り、正直に認め、聖霊に拠り頼む人です。自分のもろさや弱さを覚えるところに、神への祈りが生まれ、内に住みたもう聖霊により神の力を受け、聖霊の力が働くことによって神の国の働きのために用いられていくのです。


東京神学大学で学ぶ中で一番大切なことは、主の召しを確信し、自分の弱さを知り、聖霊の力が働いてくださることを祈り求めることなのではないでしょうか。

主イエスをわたしたちの真ん中にお迎えして、主の御声を聞きながら、期待して全学修養会の一つ一つのプログラムをゆったりと歩ませていただきましょう。わたしたち一人一人が、それぞれいただいている賜物に感謝して、賜物をいかしながら、どのように主イエスにお応えさせていただくのかを祈り求めていく必要があるのです。


そしてこの全学修養会では、『あなたは伝道スピリットを持っていますか?』と問われているのです。




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