本稿は、2022年4月から東京神学大学大学院に入学する準備をしている中で、自分自身の召命について現在の心境を取りまとめたものです。
「自らに与えられている召命はどのようなものか、また、伝道者とされるために自分にどのような課題があると受け止めているか」
(1)自らに与えられている召命はどのようなものか
私は、1972年に大学を卒業して戦後の経済復興を第一義と考えその一役を担えると思って、当時一番規模の大きかった都市銀行に就職した。1973年10月、イスラエルとアラブ諸国による4度目の戦争である第四次中東戦争が勃発して、中東の産油国が原油公示価格を70%引き上げ、狂乱物価といわれるインフレが発生した時期である。スーパーのトイレットペーパーをはじめ洗剤、砂糖、塩、醤油まで消えた。日本が世界に誇れる省エネへの取り組みの歴史はこのオイルショックから始まった。
私たちビジネスマンは、「為せば成る、為さねばならぬ」を座右の銘として、昼夜兼行で働いた時代だった。1979年には、エズラ・ヴォ―ゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版され、日本人が日本人特有の経済・社会制度を再評価するきっかけとなった。日本経済の黄金期を象徴的に表す言葉として、この書籍名が用いられているが、日本人の特性を美化しながらも、そこから何を学ぶべきで、何を学ぶべきでないかを明瞭に記しており、最後の章はアメリカへの教えとなっていたことを覚えている。
私は、人が神を押しのけてしまい、知恵を誇り、お金がすべてだと考えてしまうような、自己中心的なワークホリック(仕事中毒症)ビジネスマンになっていた。
1985年に、つくば万国博覧会が開催され、オーストラリアパビリオンで働いていたシドニー大学の学生と出会い、東京本社で自分と共に働く国際化企画スタッフとして招聘することができた。彼が入社後、私のキリスト・イエスへの水先案内人となった。私に初めて日本語の聖書を贈ってくれた。私が初めてキリスト教会の礼拝に参加したのは、彼の父親が牧会するシドニーの教会である。彼と二人で海外市場調査の出張をしたある日曜日だった。
それから私は、10年に及ぶ求道生活をして恵比寿ガーデンプレイスがオープンする仕事に携わった。東京の山手線内に新しい街が誕生するので多忙を極めた。健康だけが取り柄の私が、教会の礼拝中高熱を出して倒れ、ヘルペスと診断されて三日三晩ベッドに伏し、仕事を休んだ。その時接した御言葉が、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2章17節)だった。そして自分はヘルペスで安静を強いられているが、本当は、神を神としないで、経済至上主義の経済復興だけを目指し自己中心的な考えを持つ心の病人だ、ということに気が付いた。ただちに洗礼を受け、新たな人生を歩みだす決心をした。自分の中で人生観の大逆転が生じていた。「自分が一番で仕事が大切」から、「神が第一で家族が大切」、六法全書ではなく聖書に、キリストの権能に従う者となった。そしてマタイ28章に従って、常に聖書とトラクトを持ち歩き、ビジネスで出会う人々に福音を伝える者となり、イエス・キリストを中心として参加者が食事を共にする家庭集会を始めた。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28章18b~20節)
(2)伝道者とされるために自分にどのような課題があると受け止めているか
45歳で洗礼を受け、福音を伝える者と新生してから25年。70歳になろうとした時、主の与えてくださる「将来と希望を与える平和の計画」(エレミヤ29章11節)を聞く者でありたい、耳にやさしい御言葉だけ聞きたがる信徒ではいられない、乳飲み子ではなく成熟を目指さなければならない、そして自分のすべてを投げ出して福音を語る者にならなければならない、そして今がそのために歩みだす時であるという気持ちが、私の心の中に充満した。
ヘブライ人への手紙13章6~8節が与えられた。
「だから、私たちは、はばからずにこう言うことができます。『主は私の助け。私は恐 れない。人間が私に何をなしえようか。』あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのこ とを思い出しなさい。彼らの生き様の結末をよく見て、その信仰に倣いなさい。
イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です。」
主の御前に進み出て、主の御言葉に聞き、主に祈り、主を探し求め、心を尽くして主を尋ね求める者とさせていただかなければならない、そのために東京神学大学で歴史神学の学びを始める者として確かな歩み始める事、それが自分の道だと受け取っている。
東京神学大学の門をたたき、神学の学びを始めてから二年の月日がたった。昨年、夏期伝道実習生として横浜指路教会に遣わされた時、初めてお目にかかる長老の皆さんから先生と呼ばれて身の引き締まる思いがした。藤掛順一牧師からは、「神の御言葉として自分の口を通して宣言しなさい」とご指導いただき、また、説教後には信徒の皆さんから心ある温かな多くのコメントをいただき、改めて福音宣教の重責さを知らされた。
「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。あなたがたが行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって願うなら、父が何でも与えてくださるようにと、私があなたがたを任命したのである。」(ヨハネ15章16節)
大学院に進む準備をしているこの時、主が選んでくださって主のご計画の中に自分が置かれていることを、主の恵みの中に生かされていることを、これからもしっかりと感謝しながら歩んでいきたいと祈っている。
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