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初め(マルコ1:1-8)20240421

  • 執筆者の写真: 金森一雄
    金森一雄
  • 2024年4月21日
  • 読了時間: 4分

更新日:2024年9月27日

本稿は、日本基督教団杵築教会における2024年4月21日復活節第4主日礼拝の説教要旨です。 杵築教会伝道師 金森一雄 


(聖書朗読)

旧約聖書:創世記1章1節、新共同訳聖書(旧1頁)

新約聖書:マルコによる福音書1章1~8節、新共同訳聖書(新61頁)


(説教)

1.福音:マルコによる福音書は、1節に「神の子イエス・キリストの福音の初め。」と記されていますが、これは表題そのものです。文章には、主語と動詞があるものですが、これには動詞がありません。レポートのタイトルのようです。しかもその中に、「福音」という言葉が入っています。マルコは、初めにまさにこれから書こうとしているのが「福音」なのだ、ということを明確に主張しているといってもよいと思います。

旧約聖書のイザヤ書52章7節には、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」という預言が記されています。なぜ足が美しいと言われているのでしょうか。『顔』とするとどうでしょうか。『姿』」と言ったり、『目』としたり、『声』と置き換えてみたのですが、やはり『足』がよいのです。それは、「良き知らせ」を一つのところだけで語るのではないからです。こっちでも、あっちでも、人が足を使って移動することによって「良き知らせ」は語られるからなのです。


2.初め:次に、「初め」という言葉に注目をしてみたいと思います。原典のギリシア語聖書では、「初め」「福音の」という語順で記されています。「初め」Ἀρχὴ(アルケー)という言葉は、英語ではbeginning, originと翻訳され、単純に時間的な始まりだけを意味している言葉ではありません。「神の子イエス・キリストの福音の『源』」という感じです。物事の根源をたどっていくと、源には何があるのか、そういう意味合いの言葉です。

先ほど朗読していただいた、創世記1章1節には、「初めに、神は天地を創造された。」とあります。世界の始まりが記されているのですが、時間のことだけで創世記を考えていくと、おかしなことになってしまいます。世界の源はいったいどこにあるのか、ということを伝えていると考えると良いと思います。神を源として、世界が始まりました。しかも神が言葉を語られることによって、世界が造られていったのです。「光あれ」(創世記1:3)と神が言われれば、その通りになった。神の言葉が世界の初め、源です。マルコによる福音書を書いたマルコも、創世記をよく知っていたはずですから、創世記になぞらえながら書いたのかもしれません。そして、福音は、いつ、どこで、誰によって、どんな源から始まったのか。

それはイエス・キリストからである、主イエス・キリストがその源であるとマルコは表題において宣言しているのです。


3.道:マルコによる福音書1章2節と3節では、「あなたの道」「主の道」という言葉を用いて旧約聖書の引用がなされています。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」と、いうものです。

4節以下に登場する洗礼者ヨハネとはいったいどのような人なのでしょうか。

聖書の解説書や事典を見ますと、洗礼者ヨハネは、クムラン教団とかエッセネ派といったグループに関係があった人物ではないか、と書かれています。発掘された遺跡から、彼らは毎日洗礼を受けて悔い改めをする修道院的な共同生活をしていた様子が伺えます。

5節には、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」とあります。4節には、「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」とありますから、グループ内の一部の限られた人たちだけでなく、すべての人がこの洗礼を必要としているという意味で、このように書かれたのだと思います。

洗礼者ヨハネの姿は、グリューネバルトという人が16世紀初めに描いた「イーゼンハイム祭壇画」に記されています。観音開きのように開いたり閉じたりすることができる仕組みで、何枚かのパネルを組み合わせて複数の絵が描かれている祭壇画です。普段はパネルが閉じられていて、いつも目にすることができるのは、パネルを閉じた表に、一番大きく描かれている十字架上のキリストの絵です。人のあらゆる苦痛を背負い込んだ痛々しいキリストです。肉体はやせ衰え、鞭で打たれた無数の傷がついています。首はがっくりとうなだれ、手足には釘が痛々しく打ちつけられ、苦痛のため指先が硬直してひきつっています。

キリストの十字架の下の右側に、洗礼者ヨハネが描かれています。左手には聖書を持ち、右手の大きな人差し指で主イエスを指し示す存在として描かれています。ヨハネの体つきのバランスからすると、その人差し指はずいぶん太く、長く描かれています。そしてその指の背景として小さな文字が記されています。ヨハネによる福音書3章30節の、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」という洗礼者ヨハネが語った言葉です。

洗礼者ヨハネのように謙遜な者が指し示すキリストと出会うのです。



 
 
 

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