本稿は、2020年1月12日の日本基督教団鎌倉教会主日礼拝での信徒奨励のメッセージをまとめたものです。 金森一雄
【聖書】
箴言/ 24章 16節
神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。
マタイによる福音書/ 02章 13~15節
13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び
出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1.はじめに
おはようございます。
新年となって、いよいよ東京オリンピックの2020年を迎えました。
アスリートたちの初夢は、オリンピックに出場すること、オリンピックでメダルを取ること、と笑顔で語っています。皆さんの初夢はどのようなものでしたか。
聖書には、夢を見るという話しがいくつも記されています。
今朝は、イエス・キリストの養父となったヨセフが見た夢の聖書箇所から、少し掘り下げてお話ししたいと思います。
マタイによる福音書の第1章には、最初にイエス・キリストの系図が示され、アブラハムから始まり、42代目にダビデの子孫のヨセフがいて、その妻マリアからメシア(キリスト)と呼ばれるイエスがお生まれになった、と記されています。
旧約聖書イザヤ書第9章5、6節の「ダビデの子孫から、権威あるまことの王が誕生する、約束の救い主が現れる」という預言が、実現しているのです。
2.キリスト一家のエジプトへの避難
マタイとルカによる福音書には、イエスの誕生前後の出来事が詳しく記載されていますので、この二つの福音書の記事を順序立てて整理してみました。
(1)婚約中のマリアとヨセフに、聖霊によるマリアの受胎告知がありました。
(2)幼子の誕生に際しては、羊飼いたちが最初にお祝いに駆けつけました。
(3)幼子誕生の8日後には、当時の習わしに従って、両親が幼子を伴って神殿に出かけ、幼子に割礼をして、イエスと名付けました。
(4)占星術の学者たちが、母マリアと幼子イエスのいるベツレヘムに星に導かれて来て、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。
(5)そして、今日お読みいただいたマタイによる福音書の第2章13節で、再び、ヨセフの夢に天使が現れ、エジプトに逃げるように告げられたのです。
当時は、ヘロデ大王の晩年で、彼の残虐さは最期までとどまることがなかったようです。ヘロデは、死にかけている状態になってからも、不満分子を殺戮して、権力を手放そうとしなかった人でした。
紀元1世紀の歴史家ヨセフスは、ユダヤ古代誌の中で、「彼は、病気回復の希望を失うと手が付けられないほど乱暴になり、どのような人に向っても勝手気ままに怒鳴りちらし、当りちらした。」(ユダヤ古代誌)と記しています。
ですから、マタイによる福音書第2章16節以下で、2歳以下の男の子を皆殺しにしたり、それから逃れるために、イエスを抱えてヨセフとマリアがエジプトに亡命せざるを得なくなったという状況が記されていることもよく理解できるのです。
ヨセフは、正しい人、義なる人で、夢で見た天使のお告げに従い、朝が来るのを待たず夜のうちに、行動を起こします。産後間もない妻マリアと生まれたばかりの幼子イエスを連れて、恐らくラクダかロバを用いる程度で、砂漠の中をエジプトへ向かったのです。どんなに大変なことだったのかは、容易にお分かりいただけると思います。
昨年の大みそかから年始にかけて、想定外のニュースが流されて日本中を仰天させました。日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告が、レバノンのベイルートに逃亡したのです。ゴーン氏は、自分本位の判断で事を計り、いくつもの法律を無視して実行しています。また、用意周到な計画がなされた豪華すぎる逃亡劇と言われ、大型の楽器箱に隠れ、飛行機や車を用いて逃亡しました。
今朝確認したところでは、彼の国籍は、実にブラジル、フランス、レバノンの三カ国が併記されており、生誕地はブラジルで、信仰はカトリック、マロン派のキリスト教徒とあります。驚いたことに、住居、活動拠点は、すでにレバノンとなっているのです。
ヨセフのエジプト避難とゴーン氏のレバノンへの脱出、二つの出来事を比較してみますと、共通点はわずかで、大きな隔たりがあることがお分かりいただけると思います。
3.キリスト一家のイスラエル帰還
19、20節では、エジプトに逃れていたヨセフに、また、夢の中で天使が現れます。
ヘロデ王が死んだので、イスラエルに帰るようにと、天使がヨセフに告げたのです。
ヘロデ王は紀元前4年に死んでいます。イエスが誕生した年は、正確には分からないのですが紀元前6年頃とされていますので、幼子イエスを抱えたキリスト一家は、イスラエルの地とエジプトの間をわずか2~3年で往復することになったのです。
当時、紀元前1世紀後半は、ローマはカエサルの遠征により、地中海周辺から西ヨーロッパに及ぶ大王国となっていました。この大王国の最初の皇帝が、オクタウィアヌス帝で、元老院からアウグストゥス(尊厳者)という称号を与えられて、事実上の独裁制となっていった時期です。
ローマ帝国は、ヘロデ大王の死後、ヘロデの遺言通りに三人の息子に、ユダヤを分割することを認可しました。これにより、アルケラオは「民族支配者」という称号を得て、ユダヤ、サマリア地方を支配下にしました。アンティパスは「領主」の称号を得て、ガリラヤと東ヨルダンを支配下にし、フィルポスがやはり「領主」の称号を得てガリラヤ北東部を支配下にしましたが、この三人の誰にも王としての称号は与えていません。
そして、22節には、ヨセフがイスラエルの地に戻ろうとしたときは、自分の出身地のユダヤのベツレヘムは、暴虐で無能な人物だという悪評がとどろいていたアルケラオが「民族支配者」となっていると聞いたので、ヨセフが恐れたと記されているのです。
ヨセフが危惧を抱いていた時に、夢の中で四度目となる天使のお告げがあります。
ヨセフは、アンティパスの支配領地の北のガリラヤ地方に引きこもり、小さな町ナザレに住むことにしたのです。ヨセフは、イエスを危険から守ることが出来ました。
そして、神の介在の中で、イエスを養育していくことが出来るような環境が、整えられて行ったのです。
4.天使の言葉
興味深いことに、マリアの受胎告知の出来事の中では、マリアの前に神から遣わされた天使ガブリエルが現れて、マリアと会話した様子が記されています。一方、ヨセフの場合は、聖書に記載されている四回すべてにおいて、ヨセフの夢の中に主の天使が現れて告知しました。
マリアは天使とのディスカッション型、ヨセフは天使の告知型です。マリアとヨセフでは、どうして天使が異なる対応をしているのでしょうか。それは神さまだけがご存知のことで、私たちには知る術がないのですが、ちょっと横道にそれたお話をさせてください。
「男性は、聞く耳を持たない」と言われています。そして、女性は地図を読めないと。
私もそうですが、ヨセフは男性なので、主の天使の言葉を聞いて理解するのではなく、一方的に告げられ心で受け取ることが求められたのではないでしょうか。そんな風に、受け止めてみると、私は素直に納得してしまいました。
皆さんは、マリアのようなディスカッション型を望まれますか、ヨセフのような天使の一方的な通告型を良しとしますか。
勿論、通告される内容次第なのかもしれませんが、いずれにしても、私たちが主と仰ぐ神さまのされることに、「もし、○○ならば」と考えることや、とやかく口をはさむことは慎む姿勢が求められていると思うのです。
5.神に従う人ヨセフ
フィリピの信徒への手紙第1章6節には、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」とあります。
主が私たちの中で働いて下さり、善い業を成し遂げてくださるのです。
そこで、ヨセフを用いて神のご計画が成就されていく様子を確認しながら、神に従う人として自分の使命を果たして行ったヨセフの真骨頂を、再確認してみたいと思います。
第一点目は、ヨセフは律法に対し、正しく義なる人であり、真の男性だということです。
想定外のマリアの聖霊による処女受胎の出来事が発生した時に、正しい人ヨセフが、悩み考えた挙句決心したことは、ひそかにマリアを離別することでした。
そのとき、ヨセフの夢の中で、神が天使を用いて語りかけます。この時の神の意思は、ヨセフが熟慮の末決心したこととは異なるものでした。ヨセフは自分の判断に固執せず、天使の言葉に従ったのです。そして、マタイによる福音書1章25節に記されている通り、子どもが生まれるまでマリアと関係することがなかったという誠実な人柄なのです。その後も、神の言葉に従って、多くの犠牲を払いながら悪評判の王の脅威を逃れ続け、母マリアとイエスを守る家長として、イエスの養父として、自分の使命を果たして行きました。
これらの出来事を通じて、神は、ヨセフを、神に従う人として、真の男性として大きく成長させてくださったのです。
第二点目は、ヨセフの思慮深さです。
マタイによる福音書の第1章、2章を通じて、ヨセフは判断するすべてのことにおいて、落ち着いていて、真に思慮深い男性でした。
私は、夜寝るときには、いつも枕元に筆記用具を置いておき、夜中頭に浮かんだことを布団の中でもすぐに書き留めるようにしています。仕事で行き詰ったりしているときには、ドラマ仕立ての夢を見たりすることもあります。私の場合は、仕事中毒症、ワークホリックだからこそ見る夢だと、片付けられてしまいそうですね。
しかし、ヨセフの場合は違います。イエスの養父という重責のなかで、神に与えられた使命を果たすためにあれやこれやと熟慮に熟慮を重ねていたのです。
だからこそヨセフは、真に思慮深い人であり、夢を見る人だったのです。
最後の第三点目は、一番大切なことで、ヨセフのすぐれた信仰と行動力です。
ヨセフは、主の天使のみ告げを、神の言葉として、神の啓示として真正面から受け止めて即座に行動しています。神に対する疑いや、不従順はまったく見られません。また、エジプトに逃げる時も、エジプトから戻る時も、ナザレの町に行く時も、ヨセフは天使の言葉に忠実に従って行動しています。
かつてイスラエルの民がエジプトを出て荒れ野を彷徨いながら、苦難の中でつぶやき、不満をもらした旧約聖書の出来事と比較してみてください。
ヨセフは、慈しみ深い方、自分の為に共にいてくださる方、信頼できる方、だと神を信じ切っています。
ルカによる福音書第1章38節に、天使ガブリエルから受胎告知されたマリアが、「お言葉どおりこの身になりますように」と告白したと記され、マリアの従順さが称えられますが、私は、神に従う人ヨセフの従順さはマリアに決してひけを取らないと思うのです。
ヨセフが、旧約聖書の預言の成就に繋がる天使の言葉を、しっかり受け止めました。
一般に、夫が天使から告げられたからと言っても、妻は素直に従うと思いますか。
これが可能になったのは、ヨセフの家長としてのリーダーシップにあると思うのですが、それに加えてヨセフとマリアの二人が揃って旧約聖書をしっかり理解していて、信仰の備えと養いがあったからだと思います。そして、救い主を待ち望む信仰を、夫婦でしっかり共有して、行動しているのです。
6.イスラエルの成人式
ヨセフがその後、聖書の中で登場するのは、ルカによる福音書第2章41節にある通り、イエスが12歳の時の過越しの祭りのエルサレムでの出来事です。
ユダヤでは、男子13歳が成人式、バル・ミツワーですから、その一年前のことです。
イエスが成人した以降は、聖書の中でヨセフの名前は発見できません。
話が横道にそれてしまいますが、私がエルサレムを訪問した時、現地のバル・ミツワーに参加させていただきました。嘆きの壁の前で成人式を迎えた青年が、多くの人々の前でトーラーを朗読しています。ユダヤの風習で自分の一番好きなトーラーの箇所を自ら選んで、多くの人の前で朗読して、自分の解釈を語るのです。
母親であっても女性は、その青年のそばには近づけません。男女を仕切る、フェンス越しに親族らしき女性たちが群がって、真剣な眼差しで覗き見していました。
また、嘆きの壁に向かう道の途中では、盛大に楽器を奏でながら、一族郎党が踊っていました。私たちも円陣に招き入れられました。いっしょに手をつないで笑みを交わし、見よう見真似で踊り、その青年のお祝いさせていただきました。
この様子を見て、ユダ人の伝統的を守る姿に接して感動していると、現地ガイドから、残念なことを耳にしました。昨今は、このバル・ミツワーは、莫大なお金がかかると批判しているユダヤ人も多いようで、簡素化され始めていると言うのです。
7.私たちへのチャレンジ
聖書に記されているヨセフは寡黙で、存在そのものが地味で目立ちません。一見すると、苦労ばかりで、短い一生であったのかとも思うのですが、神に従った人、神によって割り与えられた自分の使命を果たして行った人なのです。
クリスチャンの私たちは、ともすれば、「私の歩みに神様がいつも一緒に付いて来て下さり、守り、助けて下さる」と安易に捉えてしまいがちではないですか。
それではアラジンと魔法のランプの主人公アラジンのようで、自分が主人、神様がお供、となってしまいます。それでは、本当のインマヌエルの神の恵みは分からないのです。
誰でも、すごく苦しい不安な問題で悩んだ時に、聖書を読み進めて行くうちに、祈りの中で神が平安に至る道を示してくださったという経験があると思います。
私自身のこれまでの人生の中でも、とても自分の手には負えない大きな問題に囲まれ、その解決の糸口も見えず、これで自分は終わりだ、と思ったときがありました。
自暴自棄に陥ったり、迷走してしまいかねないような事態の中で立ち止まっていると、ローマ信徒への手紙第8章28節の
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」(ローマ8:28)
と言う言葉を思い出します。
私は、この言葉に励まされ、自分の希望を繋ぎ止めることが出来ました。そしてその後、思いがけない方法で、自分の道が開けて行くという、慈しみ深い神が用意してくださる恵みの体験を何度もしてきました。
8.七転び八起き
私たちは、自分の考えの方が100%正しいと言って、異なる意見を何度言われても、その証拠を見せられても、自分の考えや自分の計画の変更をすることを嫌がったり、自分が想定したものとは違う結果を受け入れようとしません。私たちは人間であり、全知全能の神ではありません。意地を張り続けると、必ずどこかで自ら躓くことになります。
先ほどお読みいただいた旧約聖書箴言第24章16節の「神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。」という言葉は真実です。
ヨセフは、夢で聞いた神の言葉を単なる夢物語として片づけず、その夢で聞いた天使の言葉に従って生き続けました。まさに、7度倒れても起き上がり、幼子イエスを抱えて歩み続け、イエスの成長を助け続ける使命を果たして行った人でした。
私たちは、大きな台風や洪水、地震・津波などの想定外の災害に遭っても、イエス様と一緒に信仰を土台とした生活をして行くこと、神の言葉に従って歩むことが大切です。
9.結び
エフェソの信徒への手紙1章4節には、
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソ1:4)とあります。
私は、かつてはクリスチャンから一番遠いところにいたと周囲の友人から言われていた罪深い者であり、晴れているときには傘を貸すが、雨が降り出すと取り上げる、と揶揄される金融業に長く就いていた者です。主の憐れみによって、いさおなき自分がイエス・キリストを自分の心にお迎え出来たことは、恵み以外の何物でもありません。
そして今年の4月から東京神学大学神学部3年次への編入学が認められ、主の召しに導かれる歩みを始めようとしています。「その時」がいつ備えられるかは、私たち人間の知恵では測り知れないことです。ただひたすら主に委ねて祈ってまいります。
今朝は、鎌倉教会の礼拝の中で、旧約聖書箴言第24章16節を取り上げました。
「神に従う人は七度倒れても起き上がる。」のです。「インマヌエルの神が私たちと共にいてくださるということを確信して歩みましょう」と、こうして叫ばせてくださっているのは、聖霊なる神が私に内在して、働きかけてくださっているのだと宣言せずにはいられないのです。
最後に使徒言行録第2章17節をお読みします。
神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
若者は幻を見、老人は夢を見る。(使徒言行録2:17)
キリスト・イエスは主であり、私たち一人一人の能力をご存知で、慈しみ深い方です。
ですから、私たちは、弱いときにこそ強いのです。
聖霊の働きに従って、幻と夢を見ながら、明るい日、明日に向って、この場に集っておられる皆さまと一緒に、主に委ねて歩んで参りたいとお祈りします。
(お祈り)
主よ。今朝も愛する兄弟、姉妹と共に、鎌倉教会のこの礼拝堂に集うことが赦されましたことに感謝します。
これまでに、あなたは私たちに数々の経験をさせてくださいました。
多くの問題を抱え、困難の中を歩んできましたが、私たちは今ここに生かされています。そして、私たちは天上を見上げ、あなたを仰ぎ見て、共に祈ることが出来るまで、成長させていただきました。
あなたは、私たち一人一人の心の中へ、生活の中へ、そして諸々の民の生活の中にも、天上のものをお送りくださる方です。
私たちの生活の中で、善きものが生まれ、悪魔ではなくあなたの霊が、唯一の栄誉を得られるように導き続けて下さい。
あなたの霊は、私たちの目では不都合なものと思われるところからも、栄誉を得られることの出来る方です。あなたはすべてのことを変えることが出来る方です。
例え、私たち人間が悪いことに引きずり込まれたとしても、あなたはそれをよくすることがおできになります。
私たちはあなたの御許に踏みとどまります。
それゆえに私たちはあなたに望みを抱き続けます。
私たちは、すべての人のために祈ります。
世界の経済界の代表として働かれていたゴーン氏、米国大統領のトランプ氏、日本の政界のリーダーである麻生氏、石破氏をはじめ、上に立っているキリスト者が、正しい義なる判断が出来ますようにと祈ります。
私たちをヨセフのように、神に従う人へと成長するよう導き続けてください。
アーメン。
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