本稿は、2015年12月6日の日本基督教団鎌倉教会の週報掲載原稿です。金森涼子
「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
(マタイ1:21)
かつては、ジングルベルの曲が巷に流れ始めると、
クリスマスが近づいたと東に西にとプレゼントを買い求めに出かけて疲れ果てて。
最後にクリスマスケーキを買って「美味しいね」と楽しんでいた。 クリスチャンになって、クリスマスイブは、
御子のご降誕を祝って教会の礼拝を守った。
クリスマス愛餐会では、交わりの時を共にし、お祝いした。
過ぎる一年間も主の恵みの中に生かされてきたことを振り返って感謝した。
そして、家族のクリスマスプレゼントは無しにして、
贈り物をする者とされる者が、必要な時に一緒に出かけて選ぶことが大切、
それが恵みなのだと気付かされた。
2012年12月19日、ローマ法王が経済紙に寄稿された
次のようなクリスマスの精神を記した文章に出会った。
「クリスマスには、聖書を読んで学ぶべきだ。
政治や経済などの世俗の出来事にどう関わるべきかの啓示は、
聖書の中に見つけられる。
貧困と闘わねばならない。
資源を公平に分かち合い、弱者を助けなければならない。
強欲や搾取には、反対すべきだ。(中略)
クリスマスはとても楽しい時であるが、同時に深く反省すべき時である。
私たちは、慎ましく、貧しい馬小屋の御子ご降誕の光景から何を学べるだろうか。」
いつも自分の心の中に、イエスさまがいてくださいますように、
付け焼刃ではなく真の慎ましさをかぐわせる者にしてください、
貧困や苦しみにあっている人に慰めがありますように、と祈り求めます。
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