これは'98年9月27日、久喜福音自由教会で洗礼を受けるときの証しです。 1.これまでのこと はじめに、神様のみ使いと思われる多くのクリスチャンの方々に出会い、良き交わりをさせていただく中でようやくこの日が来たことを感謝いたします。アーメン。 私は、仕事中毒症の都市銀行員の妻。夫は、バブルの時には、毎日が接待から接待。その上に、休みの日にはバレーボール、ゴルフ。そして小学校、中・高、大学と数々の同級生とのおつき合い。その上、職場を中心とした自己接待にも忙しい有様。私は、母子家庭のような生活を送る日々に虚しさを覚えて結婚生活を過ごしてきた。 私が病気をしても、体力頑強な夫は、「病気をした君が悪い。」と言わんばかりの顔をして、「仕事が一番。」と言いながら出勤した。 そんな中で働く夫の帰りを待ちわびながらも、「こんな家庭はいらない。テレビドラマのように、常日頃、親子三人で質素で楽しい夕食を囲みたい。」と思って、結婚生活17年、娘の雅葉が義務教育を終えるまでと、ただひたすら待ちの、我慢の人生を送ってきた。 こうした中で、バブルがはじけ、日本経済が揺らぎ始めた時、仕事中毒症の夫が、突然、「寝てもさめても聖書。」のキリスト中毒症にかかった。夫のキリスト中毒症は、私たち家族を不自由なものにした。娘の雅葉と、静かにテレビを見たり、雑誌を読んだりしてきたこれまでの母子二人の生活のリズムを根こそぎ覆された。「聖書が一番。讃美歌が二番。テレビは害毒だから駄目。」と、イエス・キリスト旋風をまき散らして、福音を押し付けてくる夫。夫の口からは、みことばだけが語られこの世の会話をしなくなった様に感じた。私も雅葉も「お父さんの肉声が聞きたいよ。」と訴え始めた。みことばのシャワーを浴びることを恐れ、私も娘も夫のそばに寄らないようにして、それなりに逃げ道を探して過ごした。 2.イエス様に触れられて そんな折り、ある日曜日、教会の代表執事を勤めていた夫が、夜の7時になっても教会から帰って来なかった。私は心に鍵をかけた。玄関のドアーにも鍵をかけ、夫がドアーを壊すかもしれないと恐れながらも、侵入拒否を示しドアーチェーンまでした。もうこれ以上の孤独は、私には耐えられなかった。私は恐くなかった。これがこの結婚生活の幸せの分岐点になることを、何故か予感した。 このとき、私の心にイエス様が現れた。私にも悔い改めの時を与えてくださった。私は博多の出身なので西郷隆盛ばりの九州男児が好きで、「男は黙ってサッポロビール。強い男が当たり前。」と、理想の夫をイメージして、相手に押し付けてたのかも知れない。私は今日まで、夫が背負ってきた重荷の数々を一度も聞くことはなかった。これまで、私は被害者のつもりだったのに、逆に、自分の思いやりのなさに気が付かされた。意固地になってイエス様を否定しながらも、みことばのシャワーを浴び続けていたことが、自分の人間性の成長に役に立ったんだと初めて意識した。私になかったものは、イエス様が十字架の上で天のお父様に祈られた「(罪ある)人を赦す心」だったと気が付いた。 夫が、「家庭集会を始めたいから協力して欲しい。」と言い出したのが昨年の3月。それから、一周年目の今年の3月20日、午前一時。眠っている私のベッドの天板を、イエス様にトントンとノックされた。私は不思議とスカット目が覚めた。「何でもできるパワー」のようなものが私の中に入ってきた。それがなんなのか私には分からなかった。さえわたった頭で、聖書を読み始めたい衝動に駆られた。
「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(ヨハネの黙示録第3章20節)
このみことばにストレートにふれた気がした。翌日は3月21日、我が家での家庭集会の日。信仰弱き私にできることは、笑顔で皆さんを迎えることだけ。「深夜の目覚めでは明日が持たない。いけない。いけない。今はしっかり眠らなければならない。」と、自分に言い聞かせて無理矢理、眠りについた。 その日の集会で、田代知枝さんが、「涼子さんはずるい。イエス様と同棲しているだけで、同棲生活っておいしいのよね。涼子さんが教会に来ないから、一雄さんが家に教会を持ってきて、そんなにまでして涼子さんにイエス様を信じさせたいのよ。」とおっしゃった。私は辛かった。「不信仰な私が、家庭集会を手伝うのが早すぎた。私の歩みでゆっくり歩めるのなら、人に何も干渉されないのに。」と、再び自己中心の私の心が、私を責めた。 イエス様のノックの日から、「私の行く道を教えてください。」と、私は静かに祈り始めた。祈ればすぐに応えてくださると思っていたけれど、何の応答もなさらなかった。「やはりまだ私は招かれていない。」と思った。 3.イエス様への第一歩 それから一ヶ月後の我が家で行われる家庭集会の日に、友人の河本園生さんの証しを聞いて、みんなが泣いた。私も泣いた。お祈りをしていても、讃美歌を歌っていても、涙が止まらず、しまいには押さえきれずに、号泣した。するとその日の参加者の一人、矢島公子さんも私に負けないくらいに泣き出して、帰り際には私と二人で抱き合って涙した。園生さんの証しにより、みことばは生きているということを体験し、心が震えた。イエス様は、砕かれない私を一つずつ砕いてくださった。 「イエス様は、この私の罪のために十字架にかかってくださり血潮を流された、そして復活されて、現代に生きる私たち一人ひとりとともにいてくださる。」と、はっきり示され、私の信仰の第一歩が踏み出された気がした。 翌日、私も矢島公子さんも久喜福音自由教会の主日礼拝に参加していた。公子さんも、教会から離れていた方なので、二人がそろって同じ会堂の中にいることが、私の目には不思議な光景に映った。イエス様は、主人をイエス様の新幹線に乗せられたけど、私は押されてもなかなか動かない重たい手押し車に乗せていただいたような気がする。 8月30日、午後3時。田淵牧師にさりげなく、「洗礼を受けたいのですが。」と告げたとき、先生は目を丸くされて、何もおっしゃらず、ただ驚いたといった表情。私も少々気恥ずかしかった。「洗礼」この一言がようやく自分で田淵牧師に伝えられたことが嬉しかった。 その翌日、友人のお父様が亡くなり、仏教式の葬儀にお数珠を持たずに、気高い白い菊の一輪を手にして、お花料を携えて参列した。友人たちは、私が友人代表で献花でもするのかと問いかけてきた。「私は、クリスチャンですから。」と初めて公言した。 今、振り返っただけでも、数え切れない罪を犯してきた。いつも被害者のつもりで生きてきたけれど、実は、「自己中心の物差し」をかざして人を裁き、批判していた。「何もしないことも加害者である。」という考え方を知ることができた今、クリスチャンとして生きる永遠の道のりを、牛歩でゆっくり歩んでいきたい。 「あなたの若い日に創造者を覚えよ。」(伝道者の書第12章1節) このみことばをかみしめながら、悔い改めた私を見て、娘の雅葉がいつ、イエス様に出会えるかを待ちわびている。 私の信仰の足取りは、復活されたイエス様の手に釘の跡を見、自分の指をそこに差し入れてみなければ信じませんと言ったトマスの様だったと思う。そしてイエス様が、トマスにおっしゃられた「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネの福音書第20章27節)という、このみことばをいただいて、私の証しを終わらせていただきます。 In the Love of Jesus Christ, 金森涼子
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