本稿は、「ビジネスマン・壮年者伝道ハンドブック」編著:林晏久(いのちのことば社)に掲載したものです。 金森一雄
「その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。
昔、 ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか8人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。
そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」
(Ⅰペテロ3・19~21)
1.はじめに
「この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、
『わたしについて来なさい。』と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がって
イエスに従った。・・・・・・そこで、イエスは答えて言われた。
『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためでは
なく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』」
(ルカ5・27、28、31、32)
この聖書箇所は、私が、天地の創造主である真の神を信じ、神の前にすべての自分の罪を認めて悔い改め、イエス・キリストの十字架の死によって、他の誰でもない自分自身の救いを果たしてくださったことを信じ、すべてにおいてキリストに従うことを決心した時に与えられたものです。
取税人のレビが何歳でイエスさまからこのように声をかけていただいたのか分かりませんが、私にイエスさまが声をかけて招いていてくださっていることがはっきり分かったのは、バブル経済が崩壊して新しい経済秩序を模索している1994年、45歳の時でした。現在、私が神から託されている仕事は銀行員です。
ご融資の金利は取るし、担保も(ユダヤ人の最後の宝物といった上着まではいただかないものの)必要に応じてバッチリ取らせていただいたりしていますので、世間の皆さんから見れば、イエスさまのおられた時代に多くの人から嫌われていた取税人のように思われるかもしれません。
私は、銀行員として懸命に仕事をしていく中で、バブルにつながりそうな株式や土地などの購入資金にも融資したりしていました。また、私生活においても、お金さえあれば何でもできるとばかりに傲慢になり、やりたい放題のことをしてきた罪にまみれた時でした。こんな私に対して、イエスさまがどのように愛の御手を伸ばしてくださったのか、そしてイエスさまを救い主と信じ、自分を明け渡し受け入れたのかについて、ここに整理してみました。
2.団塊の世代
私は、戦後のベビーブームの中で団塊の世代の一人として生まれ、経済の早期復興を第一とする戦後教育の中にどっぷりつかっていました。他人を押しのけて進むとか、他人を踏み台にしてまでも突き進み、自分自身をいかにアッピールしていくかを第一に考えて行動してきました。
とりわけ、中学一年生の時から始めたバレーボールの世界での教育訓練モットーは、「早飯、早糞、早風呂」でした。「強い者が生き残る」といった弱肉強食型の考え方の中でしのぎを削ってきました。大学そして就職してからも、ずっとバレーボールを続けていたこともあり、日曜日の試合や練習も常でしたので、私の青春時代はおよそ聖書や教会とは無縁の世界にいました。富士銀行に就職してからは、それこそ典型的な日本人のワーカホリック・ビジネスマンの一人として、休みも取らず夜遅くまで、仕事・遊びの区分なく自分本位の行動パターンで自己実現の欲求を果たすべく動き回っていました。自分と仕事が大切、神や家庭は、二の次、三の次でした。ストレス解消のためなら、酒・タバコ・女・かけごと、何でも許されるとばかりに天衣無縫な生活をし、「家庭は眠るためだけの場所・お金を稼ぐ男の社会だけがこの世のすべてだ」とうそぶいて、驚くほど荒れ果てた毎日を過ごしていました。
当時の私のことを周囲の友人たちは「刑務所の高い塀の上を歩いている」とか「刀の刃の上を歩いている」と表現して、「危なっかしくて見ていられない人間で、いつ地獄に落ちるか分からない」と言って忠告してくれていました。まさに神の目から見れば、間違いなくゲヘナに投げ込まれる「罪の固まり」のような人間でした。
3.キリストへの水先案内人
35歳の時、東京の本社スタッフとして英語や中国語を母国語とする人を10名程度採用する仕事が与えられました。それまでは、語学の学びをサボり続けており、外国人を見たら、さっと目をそらしてなるべく話しかけられないようにと逃げ回っていた人間ですから本当に困りました。
ところが、幸いにも、当時、筑波万国博覧会が開催されており、各国のパビリオンで働く外国人の学生アルバイトの中から、私が日本語で面接をしても大丈夫というほど、日本語を上手に話せる若者4人を一気に採用することができました。今から考えますと、外人(ガイジン)を採用するなんて大変、どうしたらよいのだろうかと思い悩んでいた私への、神の恵みであり、導きの時だったようです。
この採用した人の中に、私のイエスさまへの水先案内人がいたのです。その人は、当時シドニー大学の四年生で、高校の時に日本に一年間留学したことがあるコリン・ノーブルさんです。彼は、大学の卒業論文のテーマに遠藤周作の「沈黙」を選ぶほどの日本通で、後から知ったことですが彼のお父様はオーストラリアのシドニーで牧師をされていました。
彼は入社後、私と同じ部署でいっしょに働くスタッフとなり、自然な形で職場の同僚たちを加えて、日本の天皇制や多神教について、イエス・キリストへの信仰と踏み絵の意味などについて、ずいぶん深い話し合いをするようになりました。当時の私は、独立自尊の精神とか弱肉強食による自然調和などを強く主張していました。ですから、クリスチャンの彼から見れば、本当に赦しがたい、救いようのない人間に映っていたはずです。
ピリピ人への手紙2章3節に、
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人をすぐれた者と思いなさい。」
とありますが、当時の私は、入社10年目で自信満々の時でした。それでもコリンさんは、私に聖書をプレゼントし、聖書のことばを私に語りかけていました。
4.真理とは何か
バブル経済は、私たちの価値観をとんでもない方向へと導きました。自己破産者の急増、政治家・官僚をはじめとして多くの人たちが不正事件を起こすなど、人間の行動規範はどこにあるのかと思わされる状況になりました。総会屋との関係遮断、不動産・株式投融資の負債の清算などの話が、未だにマスコミを騒がせています。まさに日本中が「地獄の沙汰も金次第」といった雰囲気に満たされてしまったと言えましょう。
私の職場でも残念ながら、重大な事件が発生しました。そしてなぜか私には、重ねて同種の事件が発生しないよう、その対策を検討する仕事が与えられました。社内のルールや規範の改正や、仕事の遂行状況についてコンピュータによるシステムチェックを構築する仕事でした。こうした仕事をしていくうちに、自分にも当てはまることとして、一人ひとりの人間が抜本的に人格を改めない限り、問題の本質的な解決にはならないということが、いやというほど分かりました。私たちの善をなそうという能力が、本当に無力で小さいことが分かり、そして一方では、人間の罪業の深さを認めざるを得ませんでした。
「真理とは何だろう。人間を律するものは何だろう。」と思い巡らしました。
この時、2千年の歴史においてさまざまな疑問や批判に耐えて、今もなお世界のベストセラーに君臨している聖書にその答えがあるのではないかと、ふと思われました。以前、同僚のコリンさんからいただいていた聖書に手が自然と伸び、それを調べ始めました。聖書を読み進めていくうちに、おぼろげながら真理らしきものがその中にあるような気がしてきました。そして、その理解をさらに深めようと、三浦綾子さんのお書きになったものを次から次へと読んでいきました。
そのうちに、三浦綾子さんが「イエスさまを救い主と認める教会に行ってみてください」と書かれていることが気にかかり、自ら自宅近くのキリスト教会に足を運び始めました。
それまで、科学至上主義だったのですが、この時ばかりは論理的・合理的判断を何もしないで、単にこれだけの理由でイエスという人を救い主としている教会に行ってみよう決心したのです。
こうした私自身の体験から、誰でも真理を求めて聖書を読み進んでいくならば、このようにして聖霊が働きかけること、すなわち、科学的・合理的説明のつかないことがいつか必ず起こると確信しています。
5.自分の罪
自分なりに聖書を調べ、教会に行き始めたものの、私にとっては罪というものが難題でした。他の聖書のことばの多くは素直に自分の中に入ってきたのですが、罪については「他の人も同じようなものだ。自分はましな方さ」と自己弁護してしまい、これが神と自分との一対一の問題であることに気がつかず、自分の罪の大きさを認めることに時間がかかりました。
ある日曜日の礼拝で牧師が祈っている最中の出来事です。急にめまいがして、横にならざるを得ない状態になりました。身体中に湿疹が広がり39度の高熱でした。礼拝終了後、妻の運転する車で何とか自宅のベッドにたどり着きましたが、そのまま三日三晩寝込んでしまいました。仕事の疲れが蓄積し、疲れの絶頂期にあったようで、ヘルペスと診断され、休息を必要としました。
この時、ベッドの中で聖書を読んでいたところ、
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5・31、32)
という、聖書箇所が私の心を打ちました。
私は今、高熱で自分の身体すらコントロールできない「身体の病人」であるが、実はそれだけではなく、自我という心をコントロールできない「心の病人」であるのだと気づかされました。すなわち、「仕事、仕事」と言って、家庭を顧みず、妻や子どもの気持ちなどは全く気にかけない、自分の判断を第一とする「自己中心人間」という「罪」にようやく気づきました。 そして、「心の病人」である私は、イエスさまを救い主として受け入れ、罪を赦され、心の病を癒され、励ましながら生きていく必要がある罪人であることがはっきり認識することができました。「自分と仕事が大切」から「神さまと家庭が大切」への大転換がこうして実現しました。そして、自分が「心身ともに病人」であり、イエスさまを必要とすることに気がついたことが、不思議なくらいにとてもうれしく感じられました。
6.恵みの光の中で
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2・8)
神は私のような罪深い人をも選んで恵みを与えられました。神の恵みということについて、私たちには神を直接見ることができませんので、なかなか分かりにくいものだと思います。そこで、太陽の日差しを例にとって考えてみました。
寒い冬の日、風もなく太陽が暖かな日差しを投げかけてくれている時、私たちはどのようにするでしょうか。恐らく、皮膚の病気などで医者から「太陽にあたってはいけない」と言われている人以外は、素直な気持ちで太陽の日差しを目いっぱい浴びようとするのではないでしょうか。
その時、代価はいくら払えばよいのかと考える人はいないと思います。恵みとは、このように何の代価も必要とせず、自分にはそれを受取る資格があるのかといったことを考えることなく得られるもの・受取ることができるものだと聖書にあります。行いの良い人や、代金を持っている人だけが得られるのであれば、それは恵みとは言えなくなります。あるクリスチャンの方が、「神さまのプレゼントは、イエスさまを信じて一人ひとりが手を出して受け取ることができます。どうぞ躊躇せず受取ってください。」と言っていましたが、そのとおりなのです。太陽の日差しを浴びるように、太陽の恵み、そしてその太陽をも含めた万物を創造された神の恵みを、子どものときのような素直な気持ちになって、何の遠慮もしないで受取ることができれば、本当に素晴らしいことなのです。
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、
いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8・12)
信仰生活の道のりは、一人前の社会人として仕事をしていくことよりも、勉強することがはるかに多く、また、会社の定年までといった期限のあるものではない永遠の道のりです。それがまた、楽しいことなのです。
私は、このようにしてキリスト信仰を神の恵みにより持たせていただきました。そして昨今は、周囲の暖かい先輩クリスチャンの皆さんに囲まれ、いろいろなサポートをいただきながらも、失敗の連続が続いています。それでもなお、神の恵みをいただきながらイエス・キリストの光の中を歩もうと努め、お祈りさせていただいています。
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