飼い葉桶から十字架へ(ルカ2:1-20) 20241224
- 金森一雄
- 2024年12月24日
- 読了時間: 8分
更新日:2024年12月30日
本稿は、日本基督教団杵築教会における2024年12月24日クリスマスイブ賛美礼拝説教要旨
です。 杵築教会伝道師 金森一雄
(礼拝開会祈祷)
天の父なる神様、クリスマスにお生まれになった神の御子イエス様は、私たちの心の暗闇を照らす光として来て下さいました。
今年も、救い主イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスを迎えようとしています。
「光は暗闇の中で輝いている」とヨハネ福音書で語られているとおり、光は闇の中にこそ輝きだします。人間はだれでも、心の中に闇を抱いています。言葉や行いによって人を傷つけてしまった悔やみ、挫折感や孤独感など、人の心の闇は暗くて、重たくて、悲しいものです。
この一年の間に迷ったこと、悩んだこと、疲れ果てたこと、争ったこと、もうだめだと絶望したことなど、神さまはすべてを知っておられます。しかし、この闇が深ければ深いほど、「まことの光」は人の心に輝きを増します。
そのために今夜、神さまは、私たちをここへ呼び集めてくださいました。感謝します。
混沌とした現代世界に生きる一人ひとりの心の奥に、今年もクリスマスの「まことの光」が輝きますようにご一緒に祈りながら、一足早い主のご降誕を祝います。
今、私たちは暗闇の中でペンダントの光をともしています。この手元のペンダントの光は私たち人間の外側を明るくしています。しかし、ペンダントの光では、私たちの心の暗闇を照らすことはできません。
ヨハネによる福音書1章9節で、「その光は、真の光で、世に来て全ての人を照らすのである。」と言われている光とは、人々の心の暗闇を照らすことのできる神の御子、主イエス・キリストのことです。主イエスの愛の御言葉によって、私たちの心の暗闇を照らしてください。今夜のクリスマスイヴ賛美礼拝に、最初から最後までイエスさまが共にいてくださること、そして神様から愛されている喜びを分かち合うクリスマスとしてくださることが、私たちの喜びです。御子イエス様の御名によって祈ります。 アーメン
(聖書)ルカによる福音書2章1~20節
(説教)「飼い葉桶から十字架へ」
1.主イエスの誕生
クリスマスおめでとうございます!
イエス・キリストは今から二千年以上前にユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。それが世界最初のクリスマスです。
ルカによる福音書2章によれば、主イエスが誕生された当時のローマ皇帝アウグストゥスが、ローマ帝国の全領土にたいして、住民登録せよとの勅令を出していました。当時のユダヤは、ローマ皇帝の支配下にありましたから、人々は皆、住民登録をするために、自分の出身の町に行かなければならなかったのです。
当時は、古いユダヤの族長制度がまだ保持されていました。ですから、イスラエルの人々は皆、自分の部族の本拠地に戻らなければならなかったのです。ヨセフは、ダビデの家に属し、その血筋でした。そのため、イエスさまの母マリアと、その夫のヨセフの夫妻は、その時住んでいたナザレの町からヨセフの出身地であるユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行ったのです。
ローマ帝国による戸籍調査の目的は、強制兵役者を決めることと課税する金額を決定するためのものでした。当時ユダヤ人は、兵役を免除されていました。ですから、パレスチナで行われた住民登録の目的は、もっぱら課税が目的だったということになります。
ナザレからベツレヘムは、120kmほどの距離です。
当時の旅行者のための宿泊施設はお粗末なものでした。宿屋が用意するものは、家畜のまぐさと、宿泊者が自炊するためのたき木くらいでした。旅行者は食料を携帯していたのです。
ルカによる福音書2章には、その日、ベツレヘムの町は混んでいてヨセフとマリアは宿泊する部屋を確保できなかったようです。
6、7節には、「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と書かれています。「彼らが泊る場所がなかった」というところを、岩波版の聖書では「彼らのための居場所がなかった」と翻訳しています。まさに、主イエスの家族には居場所がなかった、宿に部屋がなかったのです。
2.主イエスの居場所
主イエス・キリストがお生まれたところは馬小屋でした。そして、生まれたばかりのイエスは、飼い葉桶の中に寝かされていました。神の独り子イエスが、救い主、メシアとして人としてお生まれになった場所は、宮殿の中で産まれたということではなかったのです。馬小屋で生まれ、布にくるまれて、飼葉桶に寝かされていたのです。
主イエス・キリストは、マタイの福音書8章20節で、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕するところがない」と言われています。
まさに主イエスは、神の独り子でありながら人の子イエスとして家畜小屋で生まれて飼い葉桶に寝かされていました。そして飼い葉桶から十字架に至るまで「居場所」のない生活を送られたのです。イエスさまの居場所があるとすれば、十字架しかなかったということです。だからこそ、主イエスは「居場所」の無い私たちのことを本当に思いやることの出来るお方なのです。
3.羊飼いと天使
11節の「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」という主の天使の声を最初に聞いたのは、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちでした。
彼らは、羊を飼う仕事をしていたために、手を洗うことや、安息日を守れずにいましたので、人々からは、律法に違反する人たちというレッテルを貼られていました。まさに居場所のない人たちだったのです。また生活にも困窮していました。
その日夜通し羊の群れの番をしていました。現代の状況で言えば、夜勤をしていました。その羊飼いたちの所に、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたのです。
彼らは、天使が現われたのでびっくり仰天しました。
だからこそ、天使はまず、「恐れるな」と言ったのです。そして、「民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」と天使が羊飼いたちに言っています。
そして天使は、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と言ったのです。
飼い葉桶に寝ている乳飲み子こそが、主イエス・キリストです。
飼い葉桶は、馬や牛などの餌箱です。それは糞尿にまみれた汚いもので、決してきれいなものではありません。救い主、メシアはそういう汚いところに生まれた。
そして、それがあなたがたへのしるしだと、天使が言ったのです。
4.天使たちの大合唱
この後、ルカによる福音書2章14節にこの天使に天の大軍が加わった大合唱、神様を賛美する歌声が続きます。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」というものです。
この賛美では、二つのことが言われています。
一つは、「いと高きところには栄光、神にあれ」です。
「いと高きところ」とは、天の国ということです。天の国では神さまの栄光がありますように。というのです。
二つ目は、「地には平和、御心に適う人にあれ」です。
「地」というのは、この世界のことです。「御心に適う人」というのは、神さまが良しとされ、神さまが喜ばれる人ということです。平和がありますように。というのです。
主イエスは、飼い葉桶から十字架へと、公生涯を通して神の僕として働かれました。
新約聖書のフィリピの信徒への手紙2:3b、4節には、「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」と書かれていますが、主イエスは、まさにこの御言葉を実践をされた方です。
それに対して、私たちの生き方はいつもこれとは反対です。
自分の方が優れている、自分が人より上に立つように、とそのことばかりを求めてしまうのです。自分さえよければ良い、人のことには無関心、ますます世の中はそのようになっているのではないでしょうか。私たちもその流れに飲み込まれてはいないでしょうか。
主イエスの御降誕を祝うこのクリスマスに、自ら悔い改めの点検をしたいと思います。
(感謝の祈り)
恵み深い主なる神さま、2024年も神さまの愛と恵みに包まれて、歩んでくることができました。そして今日も、このクリスマスイヴ賛美礼拝に加えさせていただきましたことに感謝します。
明日はクリスマス、神さまのみ子イエス・キリストのご降誕をみんなでお祝いするとともに、新たにイエスさまを心にお迎えする方が出ますようにとお祈りします。
主イエスがこの世に人として誕生され、飼い葉桶に寝かされ、十字架につけられるまでの生涯において、ご自分の居場所がない者として、真にへりくだられた者としての歩みをされたことを覚えます。
(1)いつも喜んでいなさい(2)絶えず祈りなさい(3)どんなことにも感謝しなさい、そして、キリストに倣う者になりなさい、とあなたが私たちに仰っていることを知りながらも、なかなか主に倣う者となれていない私たちを憐れんでください。
私たちが、イエスさまと共に生きることの喜びと主の豊かさを知り、主に倣う者に加えていただけますよう導き続けてください。信仰によって、新しい生命を生きることが赦されている確信に満たされ、「死」をも乗り越える希望へと私たちを導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によって祈ります。 アーメン


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