本日は、私たち教会員をいつも温かく背後から支えてくださっている皆さまにお声掛けして、共にイエスさまに感謝の気持ちを表そうと、午前の家族の日礼拝、午後の昼食愛餐会を計画しました。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。(新約聖書マタイ11:28)
最近のニュースでは相も変わらず、親が子どもの命を奪う悲惨な報道がされています。このような苦しみが後を絶たないこの世界に、私たちは遣わされていますが希望があります。主イエス・キリストは、私たちの罪の贖いをしてくださるために、自らの命を捧げるというアガペーの愛を示されました。イエス・キリストは永遠のいのちを持っておられるお方、永遠の愛そのものです。イエスさまのお招きに応えて集まるすべての人を愛してくださっているのです。
この方が、「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とおっしゃっています。イエスさまのこの招きを拒む理由は、どこにも見当たらないと思います。
イエスさまの招きの対象として、ここでは「疲れた者、重荷を負う者」と語りかけてくださっています。
疲れが慢性的になっていませんか。肉体の疲れというよりも、精神的な疲れの中で疲れ果ててしまうことがありませんか。
自分の愚かさや、自分の過去の失敗や過失、罪、複雑な人間関係、仕事上の問題、家庭の問題、それぞれが原因となって心に重荷を負ってしまうものです。人のたましいの疲れは、それぞれの人が重荷と感じていることから来ているのです。イエスさまは、疲れを覚えている人たちすべてを招き、休ませてあげようと言っておられるのです。
「休む」というのは、疲れている人が「元気を回復する」という意味です。イエスさまは、私たちに新しい力と活力を与えてくださる方であり、人生そのものをリセットしてくださるのです。
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