本稿は、中日新聞2003年12月28日(日)の朝刊に掲載されました。 金森一雄
1.父親の顔に似る娘は祝福される
最近の調査によると、
女子中学生のうち、
父親のような男の人と結婚したいという割合は18%程度です。
世の父親の一人としては、その割合が少なくとも5割は越えて欲しい気がして
情けなく残念です。
わが家の長女雅葉も20歳。高校一年生頃から、いよいよ父親の私に似てきました。
誰が見ても、すぐ親子だと分かってしまいます。
妻と私は、「昔から顔が父親に似ている娘は幸せになれると言われているよ」
と慰めるのが精一杯です。
母親似の私も50歳を超えてから、声の出し方、歩き方や何気ない仕草が、
父にそっくりになってきたと周囲から言われます。
ちょっとしたことで、
「おじいちゃんにそっくり」と娘からも妻からも冷やかされています。
医学的に言えば、子供が親に似るのは、
DNAの働きであり、血縁というもので当たり前です。
ところで聖書には、
私たちが天地を創られた神の子に似た者となると記されています。
この聖書箇所に接したときから、
私は「神の子ども」なのだという強い確信を持つことができました。
そして、先ほどの「自分と娘との関係」と「私の父と自分との関係」とを思い巡らし、
自分が「神の子ども」とされていることの幸いを痛感している今日この頃です。
2.父親と娘の葛藤
娘の雅葉は目立った反抗期といった時期がなく今日まで来ました。
ところが最近、親に向かって生意気な口を聞き始めていました。
妻の涼子は私に対し、
「お父さんが一度は、たたかないといけない。父親の権威を見せてほしい」
「母親の私にばかり娘の教育を押し付けないでほしい」と苦情を言っていました。
年頃の娘と父親の関係はきわめて微妙です。
私は、旧約聖書に
「むちを控える者はその子を憎む者である。
子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる」
と記されていることから、娘に対して愛のむちを打たなければと思っていましたが、
親馬鹿の故、また、自分自身の青春時代の勝手気ままさを思い起こし、
多少の遠慮があってそれを実行することができませんでした。
先日、妻が新たに携帯電話を購入することになり、
親子三人でドコモショップに行きました。
娘はiモードを駆使していますが、
われら50代は老眼で文字盤も良く見えませんので、
電話がかけられれば良いと割り切りました。
私の携帯電話に妻の新しい携帯電話の番号を入力しよう思い、
「お母さんの携帯電話の番号を教えて」と私が雅葉に声をかけると、
「そんなことも知らないの?」とつっけんどんな答え。
後は無言で、新しい携帯電話の機能を探ろうと奮闘中で、
まさにお宅人間の様相。
そんな自己中心な娘の姿に、私はとても不愉快な気持ちになり、
いきなり娘の雅葉をたたきました。思い切りたたきました。
普段、どうしても娘に手を出すことは出来なかった私ですが、
娘を何度も何度もたたきました。
妻の涼子は私を止めようとしません。
後で、「どうしてあそこで止めなかったのか」と尋ねると、
「本当に良かった」と一言でした。
私が雅葉をたたいたその日以降、なぜか急に娘の態度が変わりました。
真の大学生として一段と成長したようです。
後日、娘と私の二人で駅前の本屋まで歩いて出かけたときに、
「この間、パパが雅葉をたたいたけど、どうしてだと思う?」と聞いてみました。
すると、「そのことは言わないでね。人はそれぞれ違う考えを持っているから。
左のほほを打たれたら右のほほを出せと言うから、
雅葉はパパに、おなかも出さなくちゃね。
最近毎日必ず神さまにお祈りしているの」と笑顔を返して来ました。
どうやら娘の雅葉も、最大のサポーターである妻も、
このことを自然の成り行きとして受け止めているようです。
心苦しかった張本人の私も、ようやく「これで良かった」と納得しました。
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