本稿は、いのちのことば社が毎月発行している「いのちのことば」という小冊子の【時代を見る眼】欄における 2001年5月号の掲載記事です。
人間はみな「裸の王様」だと思う。
誰もが母の胎から裸で産まれ出て、
徐々に知識を増して立派な洋服を身に付けて町を闊歩し、
屋根の下で寝るようになる。
やがて死期を迎え、裸となって天国に向けて出発することになるからだ。
この世の約束とか掟によってではなく、
私は真理を探し求めて45歳で
イエス・キリストに自分のすべてを明け渡すことを決心した。
それまでの自分は、世間体にとらわれていた。
銀行の支店長になると、
周囲の方々がいろいろな気遣いをしてくれて
私をいい気分にさせてくれることが多かった。
そんな折、自分の力を過信し、
ガンバリズムで歩んで来たせいか、
元気印の私が生まれて始めて三日間ベッドに伏せってしまった。
床の中で聖書を調べていると、
イエスさまが私のような罪人(的外れ)を招くためにこの世に来られ、
その罪の贖いのために十字架に付けられ、
血を流してくださったことがはっきり分かった。
ブランドもののスーツにこだわっていた自分が、
アンデルセンの童話に出てくる
目に見えない生地を身に付け威張り歩いていた
おしゃれ好きの王様の姿と重なった。
私は裸で母の胎から出て来た。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。
(ヨブ1・21)
私たちがこの世の旅路で手に入れたものは神さまからの贈物である。
サタンは私たちを神さまから引き離そうとして、
「それは君の手柄だ。君の実力だ」と耳元でささやく。
社会人生活の歩みにはチャンスとピンチが巡り来る。
そしていかんともし難い問題に直面すると、
神に助けを自然に求めのだ。
しかし何とか困難を乗り越えると、
神に感謝することを忘れて自分の力で立ち上がったとうぬぼれる。
一週間のうちで、月曜から土曜日までがウィークデーなので、
日曜日は強い(ストロング)日だというジョークがある。
確かに私たちは日曜日には教会に行って、
皆で聖書を開いて祈るので強くなれる。
では週日は弱い日々(ウィークデー)であって良いのかといえば、
もちろん答えは否。
私たちビジネスマンクリスチャンに求められていることは、
職場の中でどのような厳しい状況に置かれても、
イエスさまと共に歩むことによって
自分の乏しさを補い、
キリストの香りを漂わせることにある。
立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、
落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。
(イザヤ30・15)
という聖書の言葉は、私がウィークデーの職場で
イエスさまの助けを求めつつ仕事を進める時の励ましのことばである。
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